昔話(88)-糖尿病(28)-バンティング(18)

人々は、『バンティング』が、次の医学上の大発見をすると期待していました。そのため、トロント大学構内に、「バンティング&ベスト医学研究所」が、創設されました。でも、『バンティング』は、自分の助手と考えている『ベスト』と自分の名が、対等に扱われている事を、快く思わなかったそうです。研究所には、『バンティング』の名声を慕って、多くの学生たちや世界各国の研究者たちが、訪れました。左:『バンティング』  右...

昔話(87)-糖尿病(27)-バンティング(17)

『バンティング』は、絶大な権力を握るようになりました。そして、『マクラウド』に対して、「利己的で、いつも他人のアイデアを盗んでいる。」、「言葉は下痢のように出てくるが、アイデアと結果は便秘状態。」などなど…次第に『マクラウド』への敵意を現わにし、批判するようになりました。その結果、1928年『マクラウド』は、長年勤務していたトロント大学を、退職せざるを得ない状況に追い込まれました。『バンティング』...

昔話(86)-糖尿病(26)-バンティング(16)

その後、 『バンティング』は、アメリカからの好条件の誘いを、蹴ってカナダに留まりました。インスリンの特許料による、利益は膨大なものでしたが、『バンティング』は、元々、特許取得に反対していたし、特許から生まれる利益に対して、全く関心がありませんでした。そのため、主要人物の『バンティング』が、「特許料を、1ドルで大学に譲る。」と言ったので、『ベスト』、『コリップ』の発明者3名は、特許料として、大学から、...

昔話(85)-糖尿病(26)-バンティング(16)

『チャールズ・E・ヒューズ』の娘『エリザベス・ヒューズ』が、1918年に、1型糖尿病を発症したそうです。当時、糖尿病の一般的な治療法である飢餓療法で治療していましたが、状態は悪くなる一方でした。そして、『エリザベス・ヒューズ』が、糖尿病の最先端の治療薬が出来たと聞いたので、トロントにやって来ました。そして、製品化したインスリンを、世界で最初に注射した糖尿病患者になりました。あと3日で15歳になると...

昔話(84)-糖尿病(25)-バンティング(15)

『バンティング』は、周囲の人々から、インスリンの特許を、取得するように言われていましたが、「医学に関わる発見や発明は、特許とするべきでない。ましてや医者は、特許に係るべきではない。」と言って、断っていました。しかし、トロント大学の説得により、特許取得に反対していた 『バンティング』は、「自分の名前を出さないという事、この特許は、他人に特許を先に取らせないようにする以外は、目的にしない。抽出法の詳細...

昔話(83)-糖尿病(24)-バンティング(14)

『バンティング』たちを、特に激しく抗議したのは、ルーマニアの『ニコラス・コンスタンチン.・パウレスコ』です。『パウレスコ』『バンティング』たちの報告は、自分の報告内容を引用したもので、自分こそがインスリンの発見者だと言いました。『パウレスコ』は、ルーマニアのブカレストの大学の生理学の教授をしていました。1916年に膵エキスの抽出実験により、血糖降下効果に気付き始めたそうです。しかし、ブカレストが戦...