記事一覧

藤原氏と陰陽師と天皇(28)

『花山法皇』は、今までの事があったので、自分の力を示そうと、『高帽頼勢』らの従者に命じて、『藤原斉信』と『藤原公任』の車をめちゃくちゃに破壊しました。『花山法皇』は、無茶したので、普通だと、逃げ隠れするのが、自分が捕まるはずないと、たかをくくって、むしろ気勢を上げていました。『花山法皇』は、翌日、賀茂祭の後、朝廷から派遣された舞人たち祭使一行が、天皇の前で、舞う為に、加茂社から朝廷へ戻っていくのを...

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藤原氏と陰陽師と天皇(27)

『花山法皇』は、出家した後、多くの従者を従えて、自分の権威を見せ付けるのを好み、相変わらずの奇行ぶりでした。賀茂祭の時、『花山法皇』は、蜜柑を紐に通して数珠にした異様な姿で、一度見たら、忘れられないような背の高い帽子をかぶっていた『高帽頼勢』ら多くの屈強な異装の従者を従え、街を、かっぽしていました。すると、『藤原斉信』が乗っていた車がありました。『藤原斉信』には、貸しがありました。数年前、『花山法...

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藤原氏と陰陽師と天皇(26)

『高階貴子』は、自分の子供たちが、中宮や内大臣になり、栄光の頂点だったのが、夫『藤原道隆』の死後、暗転し、不幸になっていくのが、耐えられず、また、心の支えとした息子たちが、遠く離れていくことに不安を感じ、自分の息子『藤原伊周』らの配流先まで、ついて行こうとして、乗っている車にしがみつきましたが、朝廷は、許しませんでした。その後、『高階貴子』は、病気になり、子供たちの安否を心配しながら、死んだそうで...

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藤原氏と陰陽師と天皇(25)

その後、中宮『彰子』が、御子(後の『後一条天皇』、『後朱雀天皇』)を産むと、『藤原道長』は、『敦康親王』を邪魔に思うようになり、邪険に扱うようになりました。中宮『彰子』は、『敦康親王』を大変可愛がっていたので、態度が急変した父『藤原道長』に、反感を持ったそうです。ちなみに、『敦康親王』は、『藤原道長』の嫡男『藤原頼通』とも、ものすごく親しかったそうです。そのため、『敦康親王』が20歳で死亡した後、...

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藤原氏と陰陽師と天皇(24)

皇后宮『定子』は、『敦康親王』、『媄子内親王』を産みましたが、その後、、間もなく、皇后宮『定子』は、崩御されたそうです。中宮『彰子』は、12歳前後で入内したので、若い事もあり、なかなか御子を産みませんでした。そのため、中宮『彰子』に御子が授かるように、『藤原道長』は、霊場として人気があった、吉野の「金峯山寺」に御岳詣に行く事にしました。「金峯山寺」の御岳詣は20-1000日、肉食を断ち、行いを慎ん...

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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館・動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北・沖縄の
動物病院で勤務しました。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。
詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

高校時代、
筆記試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、
時には、歴史の時は、
現地調査までしていたので、

回答欄のスペースでは、不足したので、
裏まで、時には2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、高校の時は、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、自分だけ白紙が、
2枚配られていました。

先祖が笛が得意だったのと、
子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、話し言葉などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

知らせてもらえれば、
嬉しいです。

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