昔話(32)-藤原氏と陰陽師と天皇(28)

『花山法皇』は、今までの事があったので、自分の力を示そうと、『高帽頼勢』らの従者に命じて、『藤原斉信』と『藤原公任』の車をめちゃくちゃに破壊しました。『花山法皇』は、無茶したので、普通だと、逃げ隠れするのが、自分が捕まるはずないと、たかをくくって、むしろ気勢を上げていました。『花山法皇』は、翌日、賀茂祭の後、朝廷から派遣された舞人たち祭使一行が、天皇の前で、舞う為に、加茂社から朝廷へ戻っていくのを...

昔話(31)-藤原氏と陰陽師と天皇(27)

『花山法皇』は、出家した後、多くの従者を従えて、自分の権威を見せ付けるのを好み、相変わらずの奇行ぶりでした。賀茂祭の時、『花山法皇』は、蜜柑を紐に通して数珠にした異様な姿で、一度見たら、忘れられないような背の高い帽子をかぶっていた『高帽頼勢』ら多くの屈強な異装の従者を従え、街を、かっぽしていました。すると、『藤原斉信』が乗っていた車がありました。『藤原斉信』には、貸しがありました。数年前、『花山法...

昔話(30)-藤原氏と陰陽師と天皇(26)

『高階貴子』は、自分の子供たちが、中宮や内大臣になり、栄光の頂点だったのが、夫『藤原道隆』の死後、暗転し、不幸になっていくのが、耐えられず、また、心の支えとした息子たちが、遠く離れていくことに不安を感じ、自分の息子『藤原伊周』らの配流先まで、ついて行こうとして、乗っている車にしがみつきましたが、朝廷は、許しませんでした。その後、『高階貴子』は、病気になり、子供たちの安否を心配しながら、死んだそうで...

昔話(29)-藤原氏と陰陽師と天皇(25)

その後、中宮『彰子』が、御子(後の『後一条天皇』、『後朱雀天皇』)を産むと、『藤原道長』は、『敦康親王』を邪魔に思うようになり、邪険に扱うようになりました。中宮『彰子』は、『敦康親王』を大変可愛がっていたので、態度が急変した父『藤原道長』に、反感を持ったそうです。ちなみに、『敦康親王』は、『藤原道長』の嫡男『藤原頼通』とも、ものすごく親しかったそうです。そのため、『敦康親王』が20歳で死亡した後、...

昔話(28)-藤原氏と陰陽師と天皇(24)

皇后宮『定子』は、『敦康親王』、『媄子内親王』を産みましたが、その後、、間もなく、皇后宮『定子』は、崩御されたそうです。中宮『彰子』は、12歳前後で入内したので、若い事もあり、なかなか御子を産みませんでした。そのため、中宮『彰子』に御子が授かるように、『藤原道長』は、霊場として人気があった、吉野の「金峯山寺」に御岳詣に行く事にしました。「金峯山寺」の御岳詣は20-1000日、肉食を断ち、行いを慎ん...