記事一覧

藤原氏と陰陽師と天皇(23)

『一条天皇』は、出家しても、皇后宮『定子』が好きだったので、宮中に迎え入れたいと考えていました。しかし、出家後の后の入内というのは、異例であるので、例え天皇でも、内裏の中へ正式に入れる事が出来ませんでした。そのため、別宅を準備し、人目を避けて、夜遅く通い、夜明け前に帰るという事をしたそうです。『藤原道長』は、長女『彰子』を、『一条天皇』に、入内させていました。『彰子』を、立后させたいので、色々と手...

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藤原氏と陰陽師と天皇(22)

検非違使の役人たちが、中宮御所にやって来ました。中宮という尊位にある女性が、衆目の前に姿を晒すなど、常識では考えられない事なので、御所に乗り込んできた検非違使の役人たちも、中宮『定子』の姿を見て動揺したそうです。『藤原隆家』、と『高階信順』は、そこで捕らえられました。『藤原伊周』は、外敵や悪疫が侵入することを防ぎ、火難除けの神『愛宕権現』を祀る「愛宕神社(阿多古神社)(愛宕さん)」で、有名な霊山「...

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藤原氏と陰陽師と天皇(21)

『藤原伊周』は、勅命ではないのに「大元帥法」を、密かに行ったとして、十分噂が広まったので、『藤原道長』は、政敵を葬る機会を得ました。そして、「花山院闘乱事件」、「東三条院呪詛」、「大元帥法」の3つの罪のため、『藤原伊周』、『藤原隆家』は、配流と決まりました。しかし、『藤原伊周』、『藤原隆家』は、配流の宣旨が下ってから、病気を口実に出立を拒み、安全と思われた中宮『定子』の居る中宮御所に、逃げ込んだそ...

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藤原氏と陰陽師と天皇(20)

『藤原道長』の姉の皇太后『詮子(東三条院)』が病で倒れました。その頃、『藤原道長』は、『藤原伊周』が、何か密教の修法を行っていると耳にしました。『藤原道長』は、いい機会が来たと考え、「皇太后『詮子』の調子が悪くなったのは、『藤原伊周』の呪詛によるものだ。」との噂を流しました。すると『藤原伊周』が行っていたのは、『藤原伊周』の妹の中宮『定子』が、『一条天皇』の御子を妊娠していたので、安産の為の祈願で...

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藤原氏と陰陽師と天皇(19)

『花山法皇』は、19歳で出家した後も、自由奔放で、女性に対する興味は、当然、おさまりませんでした。出家後、『花山法皇』の身の回りの世話をしていた『中務』とその娘『平子』の母娘を同時期に寵愛して、それぞれ3人つづ子を産ませたそうです。そして、『中務』の産んだ御子を「母腹宮(親腹御子)」、『平子』の産んだ御子を「女腹宮(女腹御子)」と周囲の人々は、言ったそうです。でも、さすがに、この時代でも、出家した...

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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館・動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北・沖縄の
動物病院で勤務しました。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。
詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

高校時代、
筆記試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、
時には、歴史の時は、
現地調査までしていたので、

回答欄のスペースでは、不足したので、
裏まで、時には2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、高校の時は、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、自分だけ白紙が、
2枚配られていました。

先祖が笛が得意だったのと、
子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、話し言葉などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

知らせてもらえれば、
嬉しいです。

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