昔話(27)-藤原氏と陰陽師と天皇(23)

『一条天皇』は、出家しても、皇后宮『定子』が好きだったので、宮中に迎え入れたいと考えていました。しかし、出家後の后の入内というのは、異例であるので、例え天皇でも、内裏の中へ正式に入れる事が出来ませんでした。そのため、別宅を準備し、人目を避けて、夜遅く通い、夜明け前に帰るという事をしたそうです。『藤原道長』は、長女『彰子』を、『一条天皇』に、入内させていました。『彰子』を、立后させたいので、色々と手...

昔話(26)-藤原氏と陰陽師と天皇(22)

検非違使の役人たちが、中宮御所にやって来ました。中宮という尊位にある女性が、衆目の前に姿を晒すなど、常識では考えられない事なので、御所に乗り込んできた検非違使の役人たちも、中宮『定子』の姿を見て動揺したそうです。『藤原隆家』、と『高階信順』は、そこで捕らえられました。『藤原伊周』は、外敵や悪疫が侵入することを防ぎ、火難除けの神『愛宕権現』を祀る「愛宕神社(阿多古神社)(愛宕さん)」で、有名な霊山「...

昔話(25)-藤原氏と陰陽師と天皇(21)

『藤原伊周』は、勅命ではないのに「大元帥法」を、密かに行ったとして、十分噂が広まったので、『藤原道長』は、政敵を葬る機会を得ました。そして、「花山院闘乱事件」、「東三条院呪詛」、「大元帥法」の3つの罪のため、『藤原伊周』、『藤原隆家』は、配流と決まりました。しかし、『藤原伊周』、『藤原隆家』は、配流の宣旨が下ってから、病気を口実に出立を拒み、安全と思われた中宮『定子』の居る中宮御所に、逃げ込んだそ...

昔話(24)-藤原氏と陰陽師と天皇(20)

『藤原道長』の姉の皇太后『詮子(東三条院)』が病で倒れました。その頃、『藤原道長』は、『藤原伊周』が、何か密教の修法を行っていると耳にしました。『藤原道長』は、いい機会が来たと考え、「皇太后『詮子』の調子が悪くなったのは、『藤原伊周』の呪詛によるものだ。」との噂を流しました。すると『藤原伊周』が行っていたのは、『藤原伊周』の妹の中宮『定子』が、『一条天皇』の御子を妊娠していたので、安産の為の祈願で...

昔話(23)-藤原氏と陰陽師と天皇(19)

『花山法皇』は、19歳で出家した後も、自由奔放で、女性に対する興味は、当然、おさまりませんでした。出家後、『花山法皇』の身の回りの世話をしていた『中務』とその娘『平子』の母娘を同時期に寵愛して、それぞれ3人つづ子を産ませたそうです。そして、『中務』の産んだ御子を「母腹宮(親腹御子)」、『平子』の産んだ御子を「女腹宮(女腹御子)」と周囲の人々は、言ったそうです。でも、さすがに、この時代でも、出家した...