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ワンマン『吉田茂』(1)

「ワンマン(one-man)」を、他の人の意見や批判に耳を貸さず、自分の思い通りに物事を進める、独裁的な人という意味で使っているのは、日本だけだそうです。外交官だった『吉田茂』の政治家デビューが、67歳と遅かったのですが、外交官時代に身につけた、西欧流の哲学で、強烈に自己主張を通したため、1947年、新聞記者が、『吉田茂』を「ワンマン」と呼び始めてから、「ワンマン」と言う和製英語が、日本全国に、広まった...

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ワンマン『吉田茂』(2)

『吉田茂』は、外交官だったので、政治の事について、詳しくは知らなかったので、自分を推薦してくれた重鎮『古島一雄』に、相談しながら、物事を進めていきました。そのため、『古島一雄』は、「政界の指南番」と称されたそうです。 しかし、『吉田茂』は、外交官から、突然、自由党総裁になったので、自分の手足となる忠実な部下が、少なかったそうです。そのため、自由党執行部の「ヤジ将軍」、「策士」、「政界の大狸」、「寝...

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ワンマン『吉田茂』(3)

終戦間もない日本では、東京大学総長『南原繁』や日本社会党が、ソ連と中国などの共産党政府を含んだ全ての連合国との、全面講和を、ものすごく強く主張していましたが、内閣総理大臣『吉田茂』らは、共産化したり、国が分割するのを恐れ、ソ連や中国などの共産党政府を除く国々、特にアメリカとの単独講和を主張し、激しい議論を戦わしていたそうです。『吉田茂』は、東京大学総長『南原繁』に対して、「国際問題を知らぬ学者の空...

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ワンマン『吉田茂』(4)

『吉田茂』は、実力と度胸とユーモア、したたかさを持つ政治家でした。明治維新で有名な薩摩藩士『大久保利通』の次男で、有力な政治家『牧野伸顕』の長女『牧野雪子』と結婚する時、『吉田茂』は、痔に悩まされている事を、義父となる『牧野伸顕』に伝えたら、すぐに治すように言われたので、すぐに、病院に行ったそうです。結婚式では、『吉田茂』は、痔の治療のため、入院中で、出席できず、代わりに吉田家伝来の太刀が、新郎の...

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ワンマン『吉田茂』(5)

『吉田茂』は、犬が、大好きだったそうです。サンフランシスコ講和会議の際に、2頭のケアーン・テリアを連れて帰り、『サン』、『フラン』と名付け、その間にできた子は、『シスコ』、そして、お酒が好きだったので、『ブランデー』、『ウイスキー』、『シェリー』と名前を付けたそうです。当時、「赤胴鈴之助」で有名な、人気漫画家『武内つなよし』原作で、行方不明になった探偵『船越宏』の助手の少年『ジェット(北村健)』が...

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ワンマン『吉田茂』(6)

「サンフランシスコ講和条約」が締結され、日本は主権を取り戻し、GHQによる統治も終了し、『鳩山一郎』公職追放が、解けました。そのため、『鳩山一郎』は、『吉田茂』に、「約束通りに、首相を代われ。」と言ってきました。『吉田茂』は、「『鳩山一郎』の公職追放が、解けたらポストを返すよ。」と言っていたのが、他の国でも、あるように、その頃には、政権を握った者しか味わえない楽しみを、知ってしまっていたので、『鳩山...

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ワンマン『吉田茂』(7)

2007年に公開されたアメリカのCIAの文書では、『吉田茂』の暗殺計画があった事が、公表されました。それによると、日本が、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)占領下の時代、『ダグラス・マッカーサー』大将の側近で、『赤狩りのウイロビー』のあだ名の連合国軍最高司令官総司令部参謀第2部部長『チャールズ・アンドリュー・ウィロビー(ウィロビー)』は、「責任ある立場にあって、最も無責任の愚将」との評価もある、...

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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、放浪しました。

そして、
海外14カ国を、放浪し、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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