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『西竹一(バロン西)』男爵と愛馬『ウラヌス』(1)

2020年に東京オリンピックが、開催されます。今回は、オリンピックの馬術の話をします。現在まで、オリンピックの馬術で、日本人選手で、メダルを取ったのは、1932年、ロサンゼルスオリンピックの時に、金メダルを獲得した『西竹一(バロン西)』男爵だけだそうです。『西竹一(バロン西)』男爵は、『クリント・イーストウッド』監督の映画「硫黄島からの手紙」や城山三郎の小説「硫黄島に死す」、ノンフィクション作家『...

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『西竹一(バロン西)』男爵と愛馬『ウラヌス』(2)

馬は、臆病な動物で、見慣れないものには、絶対、近づかないそうです。それを、根気よく、熱心に、車に慣れさせたり、徐々に横木の高さを上げて、飛び越えたりなどの調教を行い、そして、愛馬『福東』で、高級車の愛車「クライスラー」を、跳び越えさせたそうです。1930年、『西竹一(バロン西)』男爵は、騎乗技術を磨き、実力が認められたので、2年後に開催されるロサンゼルス五輪のオリンピックの候補選手に、選ばれたそう...

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『西竹一(バロン西)』男爵と愛馬『ウラヌス』(3)

まずは、『西竹一(バロン西)』男爵は、ロサンゼルスの会場を見るため、アメリカに行きました。そして、会場の視察を終え、大陸横断鉄道でニューヨークに出て、そこから豪華客船で、イタリアに向かいました。その時、冒険活劇映画で、ヒーロー役を演じ、『ジャッキー・チェン』のように、アクションシーンをスタントなしで務め、絶大な人気を誇るアメリカの俳優『ダグラス・フェアバンクス』と、その妻で女優の『メアリー・ピック...

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『西竹一(バロン西)』男爵と愛馬『ウラヌス』(4)

そして、イタリアに着いてから、教官に紹介された馬に、会いに行ったそうです。その馬は、漫画「花の慶次」に出てくる、『前田慶次』の愛馬『松風』の様に、体高181cmという巨大な馬でした。ちなみに、馬の体高は、地面から肩の位置の最も高いところ(き甲)を言います。ついでに言うと、実は、『前田慶次』の愛馬は、体高141cm位で、小さかったそうです。でも、『前田慶次』が生きた時代の、日本の馬の平均体高は、12...

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『西竹一(バロン西)』男爵と愛馬『ウラヌス』(5)

ロサンゼルスに着くと、『西竹一(バロン西)』男爵は、他国に馬鹿にされてはいけないと言って、選手全員分のタキシードを、自前で支払ったそうです。そして、特注でゴールドの塗装を施した高級車「パッカード・コンバーチブル」を、購入したそうです。馬術の練習は、午前中のみだったので、午後になると、「パッカード・コンバーチブル」で、タキシードを着た選手を引き連れて、色々な所に行ったそうです。当然、ラスベガスへも行...

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『西竹一(バロン西)』男爵と愛馬『ウラヌス』(6)

1番は、メキシコの『ボカネグラ』大尉は、障害物を何度も落とし、馬が、障害物の前で何度も止まり、失格しました。 2番は、地元アメリカの『ウォフォード』中尉は、障害物を何度も落とし、転倒し、失格しました。 3番は、『ウラヌス』を、『西竹一(バロン西)』男爵に紹介した『今村安』少佐でしたが、障害物を何度も落とし、落馬して失格しました。 4番は、スウェーデンの『フォン・ローゼン』中尉は、障害物を4個落としま...

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『西竹一(バロン西)』男爵と愛馬『ウラヌス』(7)

『ウラヌス』は、第10障害物の前で、止まりました。その瞬間、会場から、どよめきが起こりました。しかし、『西竹一(バロン西)』男爵と『ウラヌス』は、素早く反転し、再び第10障害物に、向かいました。すると、『ウラヌス』は、腰を右にひねり、横木との間に、十分な余裕を残して、第10障害物を飛び越えました。そして、残りの障害物を、問題なくクリアーして、完走しました。減点は、8でした。ゴールインすると、観衆は...

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『西竹一(バロン西)』男爵と愛馬『ウラヌス』(8)

日本人報道関係者は、馬術での日本の優勝は、予想していなかったので、馬術の専属記者は、いませんでした。しかし、たまたま、馬術競技のためではなく、その後に行われる閉会式中継のため、会場にいた日本人報道関係者が、大ニュースとして、日本に伝えました。その時、インタビューを受けた、『西竹一(バロン西)』男爵は、「We Won!(私たち(私と『ウラヌス』)は、勝ちました。)」と、「愛馬『ウラヌス』と共に、勝った事を...

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『西竹一(バロン西)』男爵と愛馬『ウラヌス』(9)

次のオリンピックは、ナチス体制下のドイツで開かれた、1936年のベルリンオリンピックでした。その時、『西竹一(バロン西)』男爵は、ひどい風邪を引いて、40℃近い高熱がありました。そのため、薬で熱を下げて、参加しました。そして、『西竹一(バロン西)』男爵は、念願だった国産のオス馬『アスコット』と共に、「総合馬術」競技に挑んだ結果、12位でした。『西竹一(バロン西)』男爵は、国産馬でもここまで活躍でき...

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『西竹一(バロン西)』男爵と愛馬『ウラヌス』(10)

そして、『西竹一(バロン西)』男爵は、1939年から1940年まで、北海道の本別町の陸軍省軍馬補充部十勝支部で、軍馬育成を、担当したそうです。陸軍省軍馬補充部十勝支部は、約2万ヘクタールの敷地があり、馬を2歳で購入し、5歳になるまで育て、旧国鉄仙美里駅から戦場に送ったそうです。陸軍省軍馬補充部十勝支部の予算が十分では、無かったので、『西竹一(バロン西)』男爵は、今まで人に頭を下げた事がなかったのに...

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『西竹一(バロン西)』男爵と愛馬『ウラヌス』(11)

1944年、『西竹一(バロン西)』男爵は、陸軍戦車第26連隊の連隊長に任命され、満州北部に行きました。 当時、アメリカは、グアム、サイパンなどマリアナ諸島を、占領しつつあったので、B29爆撃機による、日本の本土全域への直接爆撃が、可能となりました。しかし、B29爆撃機を守るための護衛戦闘機が無かったので、日本軍の迎撃戦闘機に迎撃され、思ったような成果が、上がりませんでした。アメリカ軍に護衛戦闘機が無...

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『西竹一(バロン西)』男爵と愛馬『ウラヌス』(12)

1944年6月20日、『西竹一(バロン西)』男爵率いる、陸軍戦車第26連隊が、転進部隊として、釜山港に到着したそうです。そして、行き先を知らされないまま、輸送船「日州丸」に乗り、船上で、『西竹一(バロン西)』男爵は、硫黄島行きの命令書を、受け取りました。そして、輸送船「日州丸」は、硫黄島に向かいました。しかし、1944年7月17日、父島沖で、アメリカの潜水艦「コビア」の攻撃を受け、輸送船「日州丸」...

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『西竹一(バロン西)』男爵と愛馬『ウラヌス』(13)

『西竹一(バロン西)』男爵は、戦地の硫黄島に行く前に、馬事公苑にいた年老いた『ウラヌス』に、会いに行きました。『ウラヌス』は、『西竹一(バロン西)』男爵の足音を聞くと、脚を踏みならして、喜びを表現し、首や鼻面をこすりつけて、愛咬してきたそうです。ちなみに、自分が動物園勤務の時、チンパンジーは、麻袋の毛布で寝ていたので、チンパンジーの『ボンタ』や『ノリコ』が、寝る時に、麻袋を渡したりしたり、起きる時...

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『西竹一(バロン西)』男爵と愛馬『ウラヌス』(17)

その後、硫黄島では、生き残った日本兵が地下陣地に潜伏していたので、アメリカ軍は、硫黄島の戦いは終わったと言って、投降を促したそうです。投降する日本兵も、いましたが、投降を拒否する日本兵も、沢山いたそうです。そのため、アメリカ軍は、日本兵が潜伏していると思われる壕の入り口を埋めたり、ガソリンを流し込んで、火を放ったりして、一つ一つ潰していったそうです。 そして、アメリカ軍は、ロス五輪金メダリストだっ...

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『西竹一(バロン西)』男爵と愛馬『ウラヌス』(19)

ロサンゼルスオリンピックの時、各国の馬術選手は、リヴィエラ・カントリー・クラブで練習したのですが、その時、『西竹一(バロン西)』男爵に、非常に可愛がられた、『サイ・バートレット』という19歳のアメリカ人がいました。その後、第二次世界大戦中、空軍大佐となっていた『サイ・バートレット』は、日本爆撃の命令を受けました。その時、『西竹一(バロン西)』男爵の祖国の日本を、爆撃することに対して、非常に悲しみま...

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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、放浪しました。

そして、
海外14カ国を、放浪し、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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