FC2ブログ

記事一覧

糖尿病(11)-バンティング(1)

『フレデリック・グラント・バンティング』は、トロント大学を卒業後、カナダのオンタリオ州ロンドンで、整形外科医を開業していました。しかし、1日ではなく、1カ月の売上が4ドルだけ時もあるほど、客が来ないので、ロイヤルゼリーの効能や、マスタードガスの研究などをやったり、空いた時間で、ウエスタン・オンタリオ大学講師をしていました。ちなみに、マスタードガスと抗がん剤の話がありますが、その話は、機会があったら...

続きを読む

糖尿病(12)-バンティング(2)

1921年、『バンティング』は、トロント大学の生理学教授で、炭水化物の権威として世界的に有名な『ジョン・ジェームズ・リチャード・マクラウド』に、緊張しながら、実験をさせてもらえないかと頼んだそうです。しかし、『マクラウド』は、「そのような研究は、何人もの学者がやってきた。研究経験の乏しい君に、できるわけがない。」と取り合ってくれませんでした。中国の黄巾の乱の鎮圧の際、活躍して、ある程度、名を知られ...

続きを読む

糖尿病(13)-バンティング(3)

『マクラウド』は、成績優秀な2人の学生の『チャールズ・ハーバート・ベスト』と『クラーク・ノーブル』を呼んで、「この研究は、失敗に終わるけど、この方法が、失敗するという事を確かめる必要性はある。少なくとも外科技術を学ぶことは出来る。」と言ったそうです。夏休みを潰されることになるので、2人とも気が進みませんでした。そのため、コインを投げて、助手を決める事になりました。そして、コインを投げて、負けた『ベ...

続きを読む

糖尿病(14)-バンティング(4)

『バンティング』は、犬の手術をしたことがなかったので、出血多量、麻酔過量、感染症などで、借りていた実験用の犬10頭を、死なせたそうです。そのため、街へ犬を買いに行ったそうです。結局、14頭が死亡したそうです。それでも、7頭の犬に膵部分切除を行う事が出来ました。手術中そのうちの2頭だけですが、膵管を結紮した後、外分泌物を産生する細胞が、破壊され、膵臓が変性したと考えられる状態を、作り出す事に成功しま...

続きを読む

糖尿病(15)-バンティング(5)

そして、一週間後、変性した犬の膵臓を摘出し、そこから抽出した物を、糖尿病の犬に注射すると、血糖値が、200mg/dlから、110mg/dlに低下したそうです。左:『ベスト』と右:『バンティング』そして、膵臓を摘出された後、インシュリン投与で、約3ケ月生きた犬の「No.33 愛称『マージョリー』」。その後、2頭の犬でも同様の降下を認めました。しかし、抽出したその物質は、混雑物が多く、人に投与するには、純...

続きを読む

糖尿病(16)-バンティング(6)

子供の頃より、『バンティング』は、みんなを救う牧師になるのが夢でした。ある時、『バンティング』の幼なじみの『ジェーン』が、糖尿病に罹りました。当時、画期的な治療法がなかったので、次第に痩せていき、弱っていきました。『バンティング』は、神様に助かるように、心から毎日祈っていました。しかし、『ジェーン』は、ケトアシドーシス昏睡となり、数ヶ月で、死亡しました。そのため、ものすごく仲の良かった『バンティン...

続きを読む

糖尿病(17)-バンティング(7)

大学を辞め、医院も閉鎖し、退路を断った『バンティング』は、「今後さらに研究を続けると必ず成果が、出ると見通しがつきました。私の母校でもあるトロント大学で、研究を続けたいのですが、この研究を認めないなら、他で、この続きを行います。」と言って『マクラウド』に、必要経費を要求したそうです。すると、『マクラウド』は、「私に指図するな。嫌ならどこかに行ってもいいが、トロント大学での成果は、君の物ではない、私...

続きを読む

糖尿病(18)-バンティング(8)

整形外科医の『バンティング』と医学生の『ベスト』による実験は、荒削りな部分も多く、学会で発表するには不十分なものでした。最初、懐疑的だった『マクラウド』は、もともと糖尿病の研究していたので、インスリンの価値、その発見の重大さは、充分な程、把握していたので、結果を見てから、態度を一変させ、研究成果を認め、自分も研究に参加すると言って、研究の体裁を整え、インスリン生産のための研究チームを、編成する事に...

続きを読む

糖尿病(19)-バンティング(9)

『バンティング』は、アメリカ生理学会で、今までの研究成果を、発表する事になりました。でも、初めての体験だったので緊張して、カチカチになっていました。自分も、動物園・水族館の全国や地方の研究発表会で、何回も発表や座長をした事がありますが、とても緊張したので、その気持ちが、よく分かります。ちなみに、現在は、休診日や夜間など時間外に診察する事もあり、また診察時間を過ぎても診察している事もあり、とても忙し...

続きを読む

糖尿病(20)-バンティング(10)

焦った『バンティング』は、『ベスト』と2人で、最初に人体投与ができるように、正式な手続きを踏んで、大学に申し入れました。そしてついに、『バンティング』と『ベスト』が抽出したインスリンを、1922年1月、14歳だったⅠ型糖尿病患者で、糖尿病性昏睡で、死直前状態の『レナード・トンプン』に、人類史上、世界で初めて、インスリンを注射しました。しかし、精製方法が未熟であったため、注射の翌日、注射した腕が、ひど...

続きを読む

糖尿病(21)-バンティング(11)

『バンティング』と『ベスト』は、『コリップ』に抽出法を聞いたそうです。すると、『コリップ』は、『バンティング』と『ベスト』に向かって、「君たちが、私に何の相談も無く、勝手にインシュリンを抽出して、臨床実験したのは、協定違反だ。『マクラウド』とも話したが、君たちは、信用できないので、抽出法を、教えない事にした。インスリン発見の権利を、君たちに認める代わりに、君たちのグループから離れて、自分の名前で、...

続きを読む

糖尿病(22)-バンティング(12)

その後、『ベスト』は、大量の需要にも応えられるように、抽出技術を工夫しましたが、うまくいきませんでした。すると、米国の国際的な製薬会社の、「イーライリリー社」から、支援の申し出がありました。その後、「イーライリリー社」で、非常に純粋なインスリンの生産に成功しました。ちなみに、『バンティング』と『ベスト』は、その抽出物に、島細胞を意味する英語に因んで「アイレチン」と命名していましたが、『マクラウド』...

続きを読む

糖尿病(23)-バンティング(13)

1923年『バンティング』と『マクラウド』は、カナダ初のノーベル賞(生理学・医学賞)に選ばれました。しかし、『バンティング』は、『マクラウド』も受賞すると聞いた時、「『マクラウド』の頭から出て来たアイデアが一つでもあったか?一度でも自分で手を汚して、実験したことがあったか?」と言ったそうです。『バンティング』は、『ベスト』こそ受賞にふさわしいとして、賞金の半額を分け与えると発表したそうです。その2...

続きを読む

糖尿病(24)-バンティング(14)

『バンティング』たちを、特に激しく抗議したのは、ルーマニアの『ニコラス・コンスタンチン.・パウレスコ』です。『パウレスコ』『バンティング』たちの報告は、自分の報告内容を引用したもので、自分こそがインスリンの発見者だと言いました。『パウレスコ』は、ルーマニアのブカレストの大学の生理学の教授をしていました。1916年に膵エキスの抽出実験により、血糖降下効果に気付き始めたそうです。しかし、ブカレストが戦...

続きを読む

糖尿病(25)-バンティング(15)

『バンティング』は、周囲の人々から、インスリンの特許を、取得するように言われていましたが、「医学に関わる発見や発明は、特許とするべきでない。ましてや医者は、特許に係るべきではない。」と言って、断っていました。しかし、トロント大学の説得により、特許取得に反対していた 『バンティング』は、「自分の名前を出さないという事、この特許は、他人に特許を先に取らせないようにする以外は、目的にしない。抽出法の詳細...

続きを読む

糖尿病(26)-バンティング(16)

『チャールズ・E・ヒューズ』の娘『エリザベス・ヒューズ』が、1918年に、1型糖尿病を発症したそうです。当時、糖尿病の一般的な治療法である飢餓療法で治療していましたが、状態は悪くなる一方でした。そして、『エリザベス・ヒューズ』が、糖尿病の最先端の治療薬が出来たと聞いたので、トロントにやって来ました。そして、製品化したインスリンを、世界で最初に注射した糖尿病患者になりました。あと3日で15歳になると...

続きを読む

糖尿病(27)-バンティング(17)

その後、 『バンティング』は、アメリカからの好条件の誘いを、蹴ってカナダに留まりました。インスリンの特許料による、利益は膨大なものでしたが、『バンティング』は、元々、特許取得に反対していたし、特許から生まれる利益に対して、全く関心がありませんでした。そのため、主要人物の『バンティング』が、「特許料を、1ドルで大学に譲る。」と言ったので、『ベスト』、『コリップ』の発明者3名は、特許料として、大学から、...

続きを読む

糖尿病(28)-バンティング(18)

『バンティング』は、絶大な権力を握るようになりました。そして、『マクラウド』に対して、「利己的で、いつも他人のアイデアを盗んでいる。」、「言葉は下痢のように出てくるが、アイデアと結果は便秘状態。」などなど…次第に『マクラウド』への敵意を現わにし、批判するようになりました。その結果、1928年『マクラウド』は、長年勤務していたトロント大学を、退職せざるを得ない状況に追い込まれました。『バンティング』...

続きを読む

糖尿病(29)-バンティング(19)

人々は、『バンティング』が、次の医学上の大発見をすると期待していました。そのため、トロント大学構内に、「バンティング&ベスト医学研究所」が、創設されました。でも、『バンティング』は、自分の助手と考えている『ベスト』と自分の名が、対等に扱われている事を、快く思わなかったそうです。研究所には、『バンティング』の名声を慕って、多くの学生たちや世界各国の研究者たちが、訪れました。左:『バンティング』  右...

続きを読む

糖尿病(30)-バンティング(20)

『バンティング』は、突然のひらめきで栄光の座についいたので、研究者として受けるべき研修や経験がなかったので、何の準備もせず、行き当たりばったりでした。そして、「研究に必要な事は、訓練ではなくアイデアだ!」と言って、無計画に好き放題をしていました。そして、1923年に『バンティング』は、「3年前に婚約し、2年前に結婚したインスリンとは、ここに離婚する。」と宣言しました。そして、全ての細菌を殺す「アン...

続きを読む

糖尿病(31)-バンティング(21)

コイン投げでインスリン発見者の光栄に浴し、「ラッキーガイ」と呼ばれた『ベスト』は、恩師『マクラウド』と『バンティング』の板挟みに悩み、2人と関係ないイギリスのロンドン大学に留学しました。その後、『マクラウド』の後任として、トロント大学教授となったそうです。すると、『バンティング』卿は、『ベスト』の台頭を警戒し、「昔は、自分の助手だったし、インスリン発見の名誉も与えノーベル賞の賞金も折半し、色々手助...

続きを読む

糖尿病(32)-バンティング(22)

「ベストサイエンティスト」と呼ばれた『コリップ』は、その後、アルバータ大学教授に復帰し、マギル大学教授、ウエスタン・オンタリオ大学学部長となり、1957年までカナダ医学研究機関の議長を務めたそうです。そして、副甲状腺ホルモン、成長ホルモン、甲状腺刺激ホルモン、副腎皮質刺激ホルモンを単離し、ホルモン研究の権威となりました。しかし、『コリップ』も、インスリンにまつわるエピソードを、語りたがらなかったそ...

続きを読む

糖尿病(33)-バンティング(23)

2013年、カナダ政府は、インスリン発見に至る研究とその関連資料を、ユネスコ記憶遺産に申請して、登録されました。『バンティング』が、インスリンのアイディアを思いついた家は、今では「Banting House」としてカナダの史跡に指定され、カナダ糖尿病協会の本部としても使われています。家の前には、『バンティング』像が建っています。ちなみに、「Banting House」管理人の『グラント・モルトマン』は、 「糖尿病に対して、...

続きを読む

糖尿病(34)-バンティング(24)

『バンティング』は、死ぬまで、膵管結紮という偉大な発想こそ、唯一の価値だと思い込んでいました。しかし、当時、新進気鋭で、他人の欠点を鋭く指摘し、激しい辛口の論調で有名だった『フランコン・ロバーツ』は、『バンティング』たちの事を馬鹿にしていたので、「膵管結紮によって、蛋白分解酵素である外分泌物トリプシンから、膵内分泌物を保護するという、『バンティング』の仮説は誤りで、このような反応は、実際には起こり...

続きを読む

ランキング

詳しくは分かりませんが、下のマークを、

ランキング

クリックすると、点が入るらしい

ジャンルランキング

カテゴリ

鳥 (2)
魚 (5)

プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

短期間ですが、
オーストラリアなど
海外の複数の動物園や水族館で、
研修した事があります。
詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。
詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

高校時代、
試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、高校の時は、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖が笛が得意だったのと、
子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

検索フォーム

月別アーカイブ