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マッターホルンで見た不思議な十字架(1)

『エドワード・ウィンパー』は、父が画家だったので家業を引き継いだ形で、イギリスで挿絵木版画家をしていましたが、登山ガイドを多数発行している「英国山岳会 アルパイン・クラブ」から、アルプスの名山の写生をして来て欲しいと依頼されたそうです。しかし、その当時、『エドワード・ウィンパー』は、登山といえば、本で読んで知っているだけで、登山をした事が、全く無いどころか、山を見たことすらなかったそうです。そして...

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マッターホルンで見た不思議な十字架(2)

『ジャン・アントワーヌ・カレル』は、独立心が強かったことと、今回の登山には、成功する自信があったので、イギリス人の『エドワード・ウィンバー』と一緒ではなく、その勝利を祖国イタリアに捧げたいと考えたので、7月11日の夜明け、イタリア側から、別のイタリア人メンバーと出発したそうです。『エドワード・ウィンバー』は、自分が眠っている間に、出し抜かれたことを知って、激怒したそうです。『エドワード・ウィンバー...

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マッターホルンで見た不思議な十字架(3)

7月11日の正午、『エドワード・ウィンバー』は、登山準備をしていた18歳のスコットランド貴族『フランシス・ダグラス』卿に出会い、計画を話したところ、意気投合し、一緒に行く事になりました。そして、7月12日、45歳の有名なた山岳ガイド『ペーター・タウクヴァルター・シニア』とその子22歳の山岳ガイド『ペーター・タウクヴァルダー・ジュニア』を、山岳ガイドとして雇いました。そして、『エドワード・ウィンバー...

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マッターホルンで見た不思議な十字架(4)

初日は、マッターホルンのヘルンリ尾根で、突き出した台地、約3300m地点まで登り、テントで野営したそうです。そして、7月14日、午前3時40分の夜明け前から、ヘルンリ尾根沿いに登りはじめました。6時20分に、約3900m地点で、30分休憩し、9時55分には、約4250mに到達し、50分休憩したそうです。垂直に見える場所の最大の難所の岩壁を登ると、その後は、なだらかだったそうです。1865年7月14...

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マッターホルンで見た不思議な十字架(5)

ベテランガイド『ミシェル・クロ』を先頭に、2番目に経験不足の『ダグラス・ロバート・ハドウ』、3番目に『チャールズ・ハドソン』牧師、4番目に『フランシス・ダグラス』卿、5番目にガイド『ペーター・タウクヴァルター・シニア』、6番目に『エドワード・ウィンパー』、最後にガイド『ペーター・タウクヴァルダー・ジュニア』の順番で、ロープを繋ぎ、下山することにしました。そして、『エドワード・ウィンパー』が、山頂で...

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マッターホルンで見た不思議な十字架(6)

大惨事の後、『エドワード・ウィンパー』たち3人は、30分以上放心状態だったのですが、落ち着いてから、午後6時に足場の安全な場所まで降りたそうです。その時、突然、3人の前に、巨大な半円が現れ、十字架が現れたそうです。そのため、3人は、ビックリして、しばらく十字架を眺めていました。『エドワード・ウィンパー』が描いた十字架『エドワード・ウィンパー』は、雲粒や霧粒によって光が散乱され、自分の影が雲やガスの...

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マッターホルンで見た不思議な十字架(7)

下山直後、『エドワード・ウィンパー』は、「たった一歩足を滑らせたこと、一歩誤ったところに足を運んだことが、この悲惨な状況全ての原因だった。『タウクヴァルター』父子に、責任はない。」と言いました。そして、捜索隊により、『フランシス・ダグラス』卿以外の3人の遺体が発見され、収容されました。『エドワード・ウィンパー』と『タウクヴァルター』父子は、3日間連続で、犠牲者の捜索に参加したにもかかわらず、「自分...

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マッターホルンで見た不思議な十字架(8)

1871年、『エドワード・ウィンパー』は、自分に対する批判に対する回答と弁明を兼ね、マッターホルンの体験記を、自分で挿絵を描いた「アルプス登攀記」を書きました。批判も多かったそうですが、大ベストセラーになったそうです。そして、『エドワード・ウィンパー』は、下山直後は、「『タウクヴァルター』父子に、責任はない。」と言っていたのが、時間がたつと次第に意見が変わり、「下山の詳細をあえて述べようとは思わな...

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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、放浪しました。

そして、
海外14カ国を、放浪し、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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