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日本を守るために命をかけて戦った人々(4)-9回特攻した『佐々木友次』伍長(1)

天皇陛下が初めて特攻の話を聞かれた時、「そのようにまで、せねばならなかったか。まことに遺憾である。しかし、よくやった。哀悼の情にたえぬ。」と言われたそうです。日本陸軍第1回の特攻隊「万朶隊」に選ばれ、9回特攻出撃して、9回生きて帰ってきた特攻隊員がいました。その、特攻隊員の名前は、当時21歳の『佐々木友次』伍長。陸軍航空隊で最初に結成された特攻隊の「万朶隊」は、敵艦船攻撃のための爆撃訓練を行う優秀...

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日本を守るために命をかけて戦った人々(4)-9回特攻した『佐々木友次』伍長(2)

1回目の特攻に出た『佐々木友次』伍長は、レイテ湾を飛行中に敵艦を発見し、高度5千mから急降下し、高度800mから敵艦めがけて爆弾を投下しましたが、爆弾は、少しズレて海面に落ち、少しだけ損傷を与えました。じっとしていると、撃ち落される危険性があるので、すぐに現場を離れました。すると、豪雨に見舞われたので、以前、『岩本益臣』大尉に教えてもらっていた「緊急避難地」のミンダナオ島の田んぼに、着陸したそうで...

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日本を守るために命をかけて戦った人々(4)-9回特攻した『佐々木友次』伍長(3)

5回目の特攻からもどると、休み時間も無く、6回目の特攻の命令が出ました。『佐々木友次』伍長は、何かの感染症(マラリア)に感染したらしく、熱っぽく、体調が悪かったので、「少し寝て、体力が回復にしてから、特攻させて欲しい。」と言うと、参謀長『猿渡篤孝』は、「絶対にダメだ!寝ている時間など無い!ただちに、どんな船でも良いから、見つけ次第、突っ込め!今度帰ったら承知せんぞ!」と、たいへんな剣幕で、まくした...

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日本を守るために命をかけて戦った人々(4)-9回特攻した『佐々木友次』伍長(4)

その後、『佐々木友次』伍長は、フィリピンのカンルーバン捕虜収容所で、知り合いの読売新聞の『鈴木英次』記者から、「お前、殺されることになっていたのを知っているか?第四航空軍は、大本営発表で、死んで者が生きていては困るから、第4航空軍司令官『冨永恭次』が銃殺命令を出し、第四飛行団の『猿渡篤孝』大佐が、お前を、秘密裏に殺すために、狙撃隊を準備していたんだぞ。でも、地上勤務の兵隊が怒って、特攻隊の狙撃命令...

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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

短期間ですが、
オーストラリアなど
海外の複数の動物園や水族館で、
研修した事があります。
詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。
詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

高校時代、
筆記試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、高校の時は、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖が笛が得意だったのと、
子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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