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不思議な水晶

水晶は、古来より霊石として崇められ、災いや魔を払い、危険から守ってくれる「邪気払いの石」、「幸運を招く石」として、マヤ文明では、透明水晶を「ザストゥン」と呼び、アボリジニは、最も一般的な神の思し召しの物質、「マバン」と呼び、世界中で、様々な儀式など神聖な場所で用いられてきました。水晶は、水のように透明でよく光り、晶の文字は、お日様3つで明るく輝くという事を意味しているそうです。大乗仏教の経典の一つ...

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『藤原道長』と白い犬(2)

どこからともなく陰陽師の『安倍晴明』が現れたそうです。そして、「藤原道長様が困っているようなので、あの世から参りました。」と言った後、占いと透視を始めたそうです。 そして、「藤原道長様を呪詛する物が、この周辺に、埋められています。 これを踏み越えたら、呪われます。 白い犬は、古来より霊的能力が、あると言われています。  そのため、感じるものがあり、 告げたのです。」  と言ったそうです。 次にある場所を...

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『藤原道長』と白い犬(3)

その鳥は、六条坊門万里小路の辺にある 古びた家へ落ちて行ったそうです。 『安倍晴明』は、従者に 「鳥の落ちた所に、呪詛をした者がいます。逃げられる前に、すぐに行って下さい。」と言ったそうです。 そこは、『安倍晴明』のライバル 陰陽師『芦屋道満(蘆屋道満)(道摩法師)』の屋敷でした。 従者は、『芦屋道満』を捕まえて、 『藤原道長』のもとに連行しました。 (続く)...

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『藤原道長』と白い犬(4)

呪詛の首謀者を問いただすと、 「堀川左大臣顕光公(藤原顕光)に、 呪詛を依頼されました。」と答えました。 『藤原道長』は、 「本来なら極刑に処すべきものだが、 『藤原顕光』が悪いので、今回は許すが、今後、このような真似をしないように。」と言って、 『芦屋道満』を都から、播磨(現在の兵庫県)へ追放したそうです。 ちなみに、『芦屋道満』の子孫は、その後、播磨に住んだそうです。そして、時々歴史書に出てきます。...

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藤原氏と陰陽師と天皇(1)

古代中国では、万物は、陰と陽の2つ気から出来ていて、2つが作用しあって物事が進んでいるという「陰陽説」、木と火は陽で、金と水は陰で、土はその中間に存在するとされ、その消長によって、全ての現象が起きているとする「五行説」が、ありました。それぞれ別の物でしたが、漢の時代に合体し、天変地異や人事吉凶を占う「陰陽五行説」となったそうです。その後、日本で、惑星、小惑星等の位置により占星術をする「天文暦法」と...

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藤原氏と陰陽師と天皇(2)

『安倍晴明』は、出世は遅く、40歳頃は『天文得業生』だったそうです。50歳頃、ようやく『天文博士』になり、その後、頭角を現したそうです。しかし、『陰陽頭』に就任することは無かったそうです。そして、『花山天皇』の信頼を受けるようになり、その後、『一条天皇』や『藤原道長』に信頼されたそうです。陰陽師として名声を極めた『安倍晴明』は、天文道で培った計算能力をかわれて、税収を把握・監査する現在の税務署に当...

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藤原氏と陰陽師と天皇(3)

陰陽師『安倍晴明』の地位を確立したのは、優秀な2人の息子が、いたからだと言われています。『安倍吉平』は、陰陽博士となり、地震を予知したそうです。『安倍吉昌』は、ついに安倍氏念願の陰陽道の最高地位の『陰陽寮』の長官の『陰陽頭』に任命され、明治政府により廃止されるまで、『安倍晴明』子孫の『土御門』家が担当され、陰陽道の主導権を握っていたそうです。『安倍』ではなく、『土御門』と名乗るようになったのは、室...

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藤原氏と陰陽師と天皇(4)

『安倍晴明』が、陰陽道に関する最古の書物『占事略决(決)』を書いていますが、その中に、『安倍晴明』がよく使役した式神( 識神、式鬼神)『12天将』について、記載されています。騰虵 火神 「巳」 炎に包まれ羽の生えた蛇朱雀 火神 「午」 南方を守護する六合 木神 「卯」 平和や調和を司る勾陳 土神 「辰」 金の蛇の姿、京の中心を守護する青竜 木神 「虎」 東方を守護する貴人 上神 「丑」 十二天将の...

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藤原氏と陰陽師と天皇(5)

『師貞親王(花山天皇)』は、天皇に即位する前に、那智山中で千日修行をしたそうです。しかし、天狗が現われて、様々な妨害をしたそうです。そのため、『安倍晴明』を呼び寄せ、天狗の妨害を防ぐよう命じたそうです。そして、『安倍晴明』が、呪符「セーマン(晴明桔梗、晴明紋、五芒星)」などを使って、岩屋に天狗たちを、封じ込める祈祷をしたので、無事に修行を終えたそうです。それ以降、『花山天皇』は、『安倍晴明』を深く...

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藤原氏と陰陽師と天皇(6)

『花山天皇』と『安倍晴明』は、前世では、共に、大峰(吉野と熊野を結ぶ山脈、修験の山)の行者だったと言われています。以前より、『花山天皇』は、頭痛に悩まされていたそうです。特に、雨が降ると、頭痛がひどくなったそうです。でも、どのような治療を試みても効果はなかったそうです。そこで、『安倍晴明』が占った結果、『花山天皇』の前世の尊い行者だった時の頭の骨が、大峰の山中の岩の間に落ちて、はさまっているので、...

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藤原氏と陰陽師と天皇(33)

『一条天皇』が急な病に伏せった時、『安倍晴明』が祈ったところ、たちまち病は回復したため、正五位上に叙されたそうです。深刻な干魃が続いたた時、雨乞いの五龍祭を行ったところ、雨が降ったそうです。そして、益々『安倍晴明』の名声が、高まっていったそうです。しかし、凶星の蛍惑星(火星)が、通常の起動を逸脱するという天文の異変が起こったので、『一条天皇』に降りかかる災いを防ぐため、朝廷より、天台座主『尋禅(慈...

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藤原氏と陰陽師と天皇(42)

『藤原道長』は、陰陽師の『中原恒盛』に、娘『嬉子』の「魂」を呼び戻すための「招魂祭」を行うよう命じました。日本では、人には「魂」があり、お産などで気絶したり、悩み事や病気などで、衰弱した時には、肉体からその「魂」が、遊離すると考えられていました。そのため、古来より、屋根の上で衣を振るなどして、お産や病気などの際に、身体から遊離した「魂」を、招き戻す祭祀「招魂祭」が行われていました。沖縄に住んでいた...

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藤原氏と陰陽師と天皇(43)

陰陽師の『中原恒盛』が行った「招魂祭」は、生者に対して行う事は、許可されていましたが、死者に対して行う事は、許可されていませんでした。陰陽寮の上官達は、陰陽道の正式文書等に載っていない、死者に対して「招魂祭」を行ったのは、職務行為に反しているのではないか?という事で、罰に問うかどうかを検討する事になりました。陰陽師の『中原恒盛』は、その事を聞いて動揺し、博学で有名な明経博士・主計頭『清原頼隆』に相...

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日露戦争(3)-皇后の奇夢

日露戦争が始まった1904年2月10日、『昭憲皇太后(明治天皇妃)』が、「皇后の奇夢」と呼ばれる夢の話が発表されました。日露戦争開戦当時、『東郷平八郎』率いる日本艦隊が、バルチック艦隊をうまく捕捉して、叩き潰せば良いが、捕捉に失敗してし、旅順艦隊と合流してしまえば、日本海軍に勝ち目はないという状況だったので、新聞の漫画にまで書かれる程、日本国民の最大の関心事は、ロシアのバルチック艦隊の動向でした。『昭...

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日露戦争(15)-不思議な話(1)

『柳田国男』の「遠野物語拾遺」によると、日露戦争の時、陸上戦で、不思議な事があったそうです。ロシアの捕虜の数人が、「日本兵で、黒服を着ている兵隊を射てば、倒れたが、赤服や白服の兵隊は、いくら射っても倒れなかった。何故、倒れなかったのか?」と聞いてきたそうです。しかし、「ほとんどの日本兵は、基本、黒服なので、夏服の白服を着た日本兵やましてや赤い服を着た兵士は、珍しい。」とのこと。白い服と言えば、出雲...

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日露戦争(16)-不思議な話(2)

1959年の映画『海軍兵学校物語 あゝ江田島』に、うわさ話として出てきた心霊話があります。その、うわさ話の元になった話は、海軍士官の養成学校の江田島海軍兵学校の生徒だったAさんの体験談です。ある夜、Aさんは、上級生に生意気だと難癖をつけられて、御殿山を、10周、駆け足で回ってこいと言われました。当時、良くない事でしたが、上級生から理不尽な懲罰を受け、上からの命令は、絶対服従が、海軍兵学校の伝統でした...

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日露戦争(17)-不思議な話(3)

1919年頃、筑摩型防護巡洋艦「矢矧」で、元軍人Kさんが体験した話です。Kさんは、砲術士を命じられました。鑑内を調べると使えそうな予備室があったので、副長に、「事務もあるので、自分用の部屋として、使用したい。」と、許可をもらいに行ったそうです。すると、副長から、「次室士官のくせに、ハンモックで十分だ。」と怒られました。しかし、Kさんは、バレないと思い、黙って予備室に忍び込み、荷物を運んで、勝手にその...

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日露戦争(18)-不思議な話(4)

315年頃、『日本武尊』が、東夷征伐の途中に、「矢作川の東側の高石山に、賊が住みつき、人々を苦しめている。」と聞きました。『日本武尊』は、賊の退治を行うため、矢を作る職人である矢作部たちに、矢を作るよう命じました。矢を作るための竹は、川の中州にありましたが、川の流れが速く、矢作部たちは、竹の生えている中州まで、行けませんでした。そこへ1匹の蝶が現れ人の姿となり、竹を切り取ってきたそうです。矢作部た...

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『高橋コウ』の不思議な体験談(1)

1979年の「婦人公論」に、『高橋邦安』が、妻『高橋コウ』から聞いた体験談が、記載されました。『高橋コウ』の住んでいる山形県最上町は、山間部の集落で、山に囲まれた山里です。『高橋コウ』と『高橋邦安』夫妻は、山菜採りが好きで、何度も山に入り、山をくまなく歩き回っていていました。しかし、山形県最上郡最上町と宮城県加美郡加美町にまたがる標高550mの田代峠から更に入った山奥は、古来から、行った者は、行方...

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『高橋コウ』の不思議な体験談(2)

突然、2人の目の前に、ボロボロの服を着て、蔦を腰に巻いたおかっぱ頭の老婆が現れたそうです。老婆に驚いて、2人がじっとしていると、老婆は、しゃがれた声で、「今から、どこに行くつもりなのか?峠から向こうには行ってはいけない。今晩は、遅いから、自分の家に泊まっていけ。」と言いました。2人は、案内されて、家に行くと、それは、山の中腹に掘った洞窟でした。洞窟の中は、家財道具らしいものは何もなく、炉と手製らし...

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『高橋コウ』の不思議な体験談(3)

『高橋コウ』の前を歩いていた息子が、「お母さん。これ見て!」と言って、羅針盤を指差しました。羅針盤を見ると、指針がグルグル回っていました。しばらくすると、羅針盤の指針は、前方の方角を指し、回転運動は止まりました。『高橋コウ』は、「羅針盤の指針は、北を指すはずが、初夏の太陽の方向から言えば、羅針盤の指針は、東南を指している。おかしい!」と息子と驚いていると、緑色のガスが、2人を包みました。2人は緑の...

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『高橋コウ』の不思議な体験談(5)

そして、『高橋コウ』は、家に戻りました。一連の出来事は、2日位の事と感じていましたが、4日経過していて、大騒ぎになっていました。2人とも衰弱していたので、そのまま入院しました。息子の方は、2ヶ月間入院し、完全に回復しました。しかし、息子は、一連の出来事が、トラウマになり、忘れるようにしたそうです。そして、『高橋コウ』は、周囲に人に体験談を話しましたが、誰も信じてくれなく、精神的に落ち込み、その後、...

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神隠し(1)

沖縄に住んでいる時に、不思議な話を、沢山聞きました。沖縄では、人が神隠しにあったように、突然いなくなることを、「ムヌにもたれる。」と言うそうです。ムヌは、正体不明の妖怪ですが、ムヌが乗り移ると、夢遊病のような状態になるそうです。沖縄では各地域で、ムヌは、シキ、ムン、シチ、チキ、ヒキ、ヒチー、シチマジムン、ヒチマジムンと呼ばれています。山の中で、黒い煙が出て、それが人の体の中にはいると、1-2週間、...

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神隠し(2)

以前、フィギュア-スケートのイナバウアーを聞いた時、『稲福婆(イナフクバア)』の話を思い出しました。16-17世紀の話ですが、沖縄本島の西原間切の棚原に、『稲福婆(イナフクバア)』という祝女がいました。他の祝女と一緒に、上ヌ御嶽(マニシカニービ御嶽)で、祭事を執り行っていた時に、突然、煙が出て来て、消えたそうです。それから3年後、我謝村の鍛冶屋大主が、船を出して沖で釣りをしていた時、海面に、頭から体...

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神隠し(3)

煙と共に消えると言えば、1964年3月4日の毎日新聞コラム欄に載っている「藤代バイパス車両失踪事件」が思い出されます。ある晴れた日の朝、銀行支店長代理の運転する車が、次長と銀行の得意客を乗せて、東京から茨城県龍ケ崎市のゴルフ場に向かっていたそうです。松戸市及び柏市を経由した後、午前8時頃、葛飾区金町付近からずっと前先を走っていた東京ナンバーの黒塗りのトヨペット・ニュークラウン周辺から、突然、白い煙...

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神隠し(4)

1593年10月24日、スペインの兵士『Gil Pérez』が、メキシコのメキシコシティの中心にあるソカロ(中央広場)に、突然現れたそうです。 『Gil Pérez』は、マニラの官邸の衛兵の制服を着ていたので、取り調べがあったそうです。『Gil Pérez』は、「フィリピン総督領マニラの総督官邸を、警備していたが、めまいと疲れを感じたので、壁によりかかり、目を閉じて、少しの間休息して、数秒後に目を開くと、見覚えのないここにい...

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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、放浪しました。

そして、
海外14カ国を、放浪し、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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