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日本を守るために命をかけて戦った人々(8)-遺書(1)『武田竹司』海軍少尉と餅

中学生の時の夏休み、友人Kと大阪から与論島に行く事にしたのですが、その時、フェリー「さんふらわあ」で、まずは、友人Kの親戚のいる鹿児島に寄りました。その時、時間があったので、池田湖の巨大水棲生物のUMAのイッシーを見に行き、そこにあった食堂で、池田湖に生息する全長2m、体重20kgになるオオウナギを見学し、UMAについて、友人Kと話が盛り上がりました。また、南九州市(旧:知覧町)にあった特攻隊の遺品の展...

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日本を守るために命をかけて戦った人々(8)-遺書(3)お母さんへ

陸軍特攻第七十七振武隊『相花信夫』少尉(18歳)の遺書1945年、5月4日、沖縄海上で特攻戦死【母上様御元気ですか。永い間本当に有難うございました我6歳の時より育て下されし母継母とは言え世の此の種の母にある如き不祥事は一度たりとてなく慈しみ育て下されし母 有難い母 尊い母俺は幸福であった ついに最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺幾度か思い切って呼ばんとしたが、何と意志薄弱な俺だったろう母上お許し下さい...

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日本を守るために命をかけて戦った人々(8)-遺書(4)絵と空と日本を愛した少年飛行兵

『山崎祐則』海軍少年飛行兵(19歳)1945年3月21日、九州東南沖で特攻戦死『山崎祐則』海軍少年飛行兵は、絵と空と日本を愛しました。『山崎祐則』海軍少年飛行兵は、「軍隊では手紙と食事がいちばん楽しい」とか、特攻に行くまでの生活を、イラストに描いて、家に送ったそうです。朝、号令がかかると、はね起きて、ハンモックをしまう。洗い場のコンクリートの床では、裸足なので、冬は手足が冷たい。うどんやしるこなど...

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日本を守るために命をかけて戦った人々(8)-遺書(5)婚約者へ

陸軍第20振武隊『穴沢(穴澤)利夫』少尉(23歳)1945年、4月12日、沖縄海上で特攻戦死『穴沢利夫』少尉は、故郷の福島県那麻郡に児童図書館をつくるために、中央大学に進学し、東京医科歯科大学の図書館で、司書としてバイトしていた所に、後輩たちが実習に来ていたのですが、そのうちの1人『孫田智恵子』さんと、付き合うようになったそうです。そして、付き合いが順調に進み、東京の『孫田智恵子』さんの実家を訪ね...

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日本を守るために命をかけて戦った人々(8)-遺書(6)わが子へ

『植村眞久』海軍大尉(25歳) の遺書1944年、10月26日、 レイテ島東方で特攻戦死【素子へ 素子は私の顔を能く見て笑いましたよ。私の腕の中で眠りもしたし、お風呂に入ったこともありました。素子が大きくなって私のことが知りたい時は、お前のお母さんや佳代叔母様に私のことをよくお聞きなさい。 素子という名前は私がつけたのです。素直な、心の優しい、思いやりの深い人になるようにと思って、考えたのです。 ...

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日本を守るために命をかけて戦った人々(8)-遺書(7)靖国神社

神風特別攻撃隊『小川清』海軍中尉(22歳)は、1945年5月11日、南西諸島沖で、「ワレ突入ス」との無線の後、アメリカ空母「バンカー・ヒル」に突入し、大破、炎上し、死者396人、負傷者264人を出しました。特攻により炎上するアメリカ空母「バンカー・ヒル」バンカー・ヒルの乗組員だった『ロバート・ショック』が、「バンカー・ヒル」の処理を行なっている時、炎上せずに残っていた『小川清』の遺品を見つけ、持ち...

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硫黄島の戦い-『栗林忠道』(3)-『西竹一(バロン西)』男爵と愛馬『ウラヌス』(16)

硫黄島の最高指揮官『栗林忠道』は、優れた軍人でしたが、同時に良き家庭人でした。硫黄島に行く前、次女の『栗林たか子』9歳が、大泣きしていたそうです。そのため、『栗林忠道』は、硫黄島着任後に送った手紙には、「お父さんは、お家に帰って、お母さん(妻『栗林義井』)とたこちゃん(『栗林たか子』)を連れて、町を歩いている夢などを時々見ますが、それは、出来ない事です。お父さんは、たこちゃんが大きくなって、お母さ...

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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、放浪しました。

そして、
海外14カ国を、放浪し、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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