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藤原氏と陰陽師と天皇(26)-亀の恩返し(1)

『花山法皇』の三十三所巡礼のコースは、現在、「西国三十三所」と言われています。ちなみに、「西国三十三所」、「三十三間堂」、「江戸三十三箇所」、「坂東三十三箇所」、「坂東三十三観音」などの観音様に関連して、33という数字が出てきます。何故、33という数字が使われているかと言うと、、観音様が世を救済する時、『菊池としを』先生の漫画「明王伝レイ」のように、状況に応じて、「 阿弥陀如来」、「梵天」、「帝釈...

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藤原氏と陰陽師と天皇(27)-亀の恩返し(2)

以前『藤原高房』が、助けた大きな亀が、『藤原山蔭』を、甲羅に乗せて現れたそうです。そして、「『藤原高房』の後妻が、自分の子供を跡継ぎにしたいので、邪魔な先妻の子『藤原山蔭』を、船から淀川に突き落した。」という衝撃の事実を知ったそうです。『藤原高房』は、何はともあれ、『藤原山蔭』が無事に戻って来た事に感謝し、観世音菩薩像と寺を造ることにしたそうです。そして、観音菩薩像を彫るのに適した香木を、中国の唐...

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藤原氏と陰陽師と天皇(28)-亀の恩返し(3)

その後、『藤原高房』の子『藤原山蔭』が、太宰府に赴任たそうです。ある日、浜辺を散歩している時、父の銘のついた香木を発見したそうです。その偶然に、運命を感じ、父の遺志継続を決心したそうです。『藤原山蔭』は、任期を終えたので、香木を携えて、都への帰宅の途につきました。その途中、現在の大阪府茨木市の辺り来た時、香木に根が生えたように、重くなりました。どうしたものかと、途方にくれましたが、もしかすると、仏...

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藤原氏と陰陽師と天皇(29)-亀の恩返し(4)

なかなか良い仏師が見つからないので、仏様にアドバイスをもらおうと考え、『藤原山蔭』は、奈良の「長谷寺」に籠もり祈願を重ねました。すると、ある夜、夢枕に、「明日の朝、最初に出会う者が名工なので、自宅に招待しなさい。」とのお告げがありました。翌朝、寺の門前で、15才位のみすぼらしい身なりをした童子の仏師に出会ったそうです。『藤原山蔭』は、幼く、あまりにも汚い恰好をしていたので、声を掛けるのを、ためらい...

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藤原氏と陰陽師と天皇(30)-亀の恩返し(5)

造仏を始めて、千日目の早朝、『藤原山蔭』が、いつもの様に、食事を持っていこうと支度していると、仏舎から、「長谷の観音様はどちらに?」と声が聞こえました。すると、「行基菩薩よ、今帰るところよ。」と声が聞こえました。そのため、『藤原山蔭』が、急いで仏舎に駆けつけると、童子が空に飛び去っていくところが、見えました。そして、仏舎には、不思議な事に、腐らずに、調理したての千日間の食事が、お供えされた状態で、...

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藤原氏と陰陽師と天皇(31)-亀の恩返し(6)

『藤原山蔭』は、仏師の童子に、毎日休まず、仏舎の中から出てこないで、一生懸命、仏様を彫刻していると思うと、十分とは言えないかもしれませんが、せめて、料理の味や見た目を楽しんでもらおうと、勉強し、色々と試行錯誤し、工夫して、仏師の童子の口に合うよう、美味しい調理方法を考案し、毎回、違う種類の料理をしたので、料理に、とても詳しくなりました。当時、中国の唐の食習慣・調理法が、日本にもたらされていました。...

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藤原氏と陰陽師と天皇(32)-亀の恩返し(7)

「総持寺」では、毎年、『藤原山蔭』の命日4月18日に、御祭儀式として「山蔭流包丁式」が、鯉を使って、奉納されているので、誰でも見学する事が出来ます。18日は、亀の話の始まりの、観音様の縁日でもあります。「包丁師」が、雅楽の調べの中、烏帽子と直垂という装束で現われて、大きなまな板の前に座り、食材には、直接手を触れず、右手に包丁、左手に真魚箸という長い箸を持ち、生き物の死骸を食べ物に、変換させる清めの...

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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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