光る動物(38)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(31)-『伯夷』、『叔斉』と『徳川光圀』(5)

『春日局』は、『お振』という娘に、男装させて、『徳川家光』の所に行かせました。すると、 1637年、将軍『徳川家光』が33歳の時、最初の子『千代姫』が、産まれました。 しかし、『お振』は、すぐに死亡して、男子を生むことが出来ませんでした。ある時、紫衣に包まれ少年のように清々しい公家『六条有純』の娘が、伊勢内宮社・慶光院17代院主となったので、挨拶に来た時、『徳川家光』は、見とれていたそうです。そのた...

光る動物(37)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(30)-『伯夷』、『叔斉』と『徳川光圀』(4)

将軍は、後継ぎをつくるのも仕事だったので、将軍『徳川家光』は、1623年の19歳で、正室『鷹司孝子』と結婚しましたが、結婚当初から、その仲は非常に険悪で、実質的な夫婦生活は皆無で、ほぼ軟禁生活を強いて、冷遇したそうです。将軍『徳川家光』33歳の時まで、子供が出来なかったそうです。でも、なかなか子供が出来なかったのは、仲が悪いと言うだけではなく、理由がありました。戦国時代、女性は不浄なので、出陣の前...

光る動物(36)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(29)-『伯夷』、『叔斉』と『徳川光圀』(3)

『徳川光圀』の父『徳川頼房』は、若年の頃、異様な衣服や刀を纏い、傍若無人な振る舞いをしていたので、そのままにすると、幕府が、譴責を加えると通達がありました。そのため、『徳川頼房』の守役『中山信吉』が、一命を懸けて、諌言したので、真面目になったそうです。その父の遺伝か、『徳川光圀』は、若い時は、やんちゃだったそうです。例えば、処刑された罪人の重い生首を、引きずりまわしたり、洪水直後の墨田川を泳いだり...

光る動物(35)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(28)-『伯夷』、『叔斉』と『徳川光圀』(2)

水戸徳川家で、尾張と紀州の嫡男が生まれた後の、1628年に生まれた3男『徳川光圀』を、長男を差し置いて、嫡男としたそうです。何故、『徳川光圀』が、嫡男とされたのかと言うと、別段、優秀だったからと言うのでは、ありませんでした。1632年に、『徳川光圀』を預かる『三木之次』が、『徳川頼房』に、「『長丸(千代松)(徳川光圀)』は、殿(『徳川頼房』)の子なので、認知して下さい。」と願い出たそうです。実は、...

光る動物(34)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(27)-『伯夷』、『叔斉』と『徳川光圀』(1)

TV『水戸黄門』のモデル『徳川光圀』は、水戸藩の第2代藩主ですが、水戸徳川家の初代『徳川頼房』の三男でした。『徳川光圀』の母は、『谷重則』の娘『久子(お久)(久昌院)』ですが、正妻でもなく、正式な側室ではなかったそうです。『お久』の母親が、大奥女中を務めていたので、一緒に連れられて、城に出入りするうちに、『徳川頼房』に気に入られて、『徳川光圀』の兄『松平頼重』を懐妊しました。当時、水戸徳川家では、正...

光る動物(33)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(26)-『伯夷』、『叔斉』

「殷」の諸侯『墨胎』が治める「孤竹国」の王子は、3人兄弟でした。ある時、父王が死んだ時、長男『伯夷』をさしおいて、三男『叔斉』に位を譲るとの遺言でした。『伯夷』は遺言に従って、弟『叔斉』に王位を継がせようとしました。しかし、『叔斉』は、兄を差し置いて位に就くことを良しとせず、あくまで兄に位を継がそうとしましたが、「それでは、父の意思に背く。」と言って、お互いに譲り合い、話がまとまらないので、『伯夷...

光る動物(32)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(25)-蜚廉から風伯へ(17)

『紂王』が負傷して、宮殿に戻って来ました。宮殿の警護に当たっていた『飛廉』とその子『悪来』が、『紂王』に声をかけると、「戦況は最悪で、もう少しで「殷」が終わる。」と言いました。そのため、『飛廉』とその子『悪来』が、「最後まで戦って、王朝の意地を見せつけましょう。」と勇気づけたそうです。そして、『悪来』は、「余裕を持ちましょう。」と言って、「将棋」や「双六」の起源である「六博」の盤を持ち出して来て、...

光る動物(31)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(24)-蜚廉から風伯へ(16)

殷軍の兵士数は、約70万という大軍でしたが、周軍の兵士数は、約40万だったそうです。しかし、周軍は数の上では、確かに劣勢でしたが、『発』は、今まで調略を行っていたので、内応者が多数いたし、神官や、殷に服属している嫌々ながら参加している属国の兵士たちが、殆どだったので、周軍を見るや否や、次々に殷軍から周軍に寝返りました。そして、賄賂が好きだった宦官『費仲』は、戦いの中、助命の為、周軍に賄賂を渡しまし...

光る動物(30)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(23)-蜚廉から風伯へ(15)

『発』が、「殷」に向けて進攻するため、孟津という港から黄河を渡ろうとした時、雷雨と暴風に邪魔されて、河を渡ることが出来なかったそうです。すると、『発』は、黄河の神に、「天命は既に下ったのだ。どうしてわたしの邪魔をするのか!」と一喝すると、雨と風が嵐がおさまり、河を渡る事が出来たそうです。その時、船の中に白魚が、飛び込んできたそうです。『発』は、白は殷のシンボルカラーなので、殷が、自ら自分の手元に、...

光る動物(29)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(22)-蜚廉から風伯へ(14)

「周」を継いだ『発』は、兄『伯邑考』が、『紂王』に、殺され、干し肉にされた事を恨みに思っていて、機会を見て、必ず復讐しようと思っていました。そして、『発』は、軍師『呂尚(太公望)』のアドバイスもあり、『紂王』の「殷」に、決戦を挑む事にしました。『呂尚(太公望)』は、これで、ようやく、大きな動乱が起き、沢山の大物の魂を集める事が出来ると思うと、身震いが起きました。『発』の率いる周軍は、軍師『呂尚(太...

光る動物(28)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(21)-蜚廉から風伯へ(13)

そして、『姫昌』は、軍師『呂尚(太公望)』のアドバイスにより、北方遊牧民族の「犬戎」や諸侯国の「邗」を征伐しました。すると、以前、『紂王(帝辛)』に、『姫昌』の事を密告した宿敵『祟候虎(崇侯虎)』は、その情報を聞いてからすぐに、『紂王(帝辛)』に、『姫昌』が反乱を起こしているので、討伐して欲しいと伝言ましたが、伝言が届く前に、宿敵『祟候虎(崇侯虎)』は、討伐されました。ちなみに、『祟候虎(崇侯虎)...

光る動物(27)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(20)-蜚廉から風伯へ(12)

ある時、最高神『元始天尊』は、仙界に仙人が多くなり、窮屈になり、落ち着かなくなってきたので、宇宙再編成計画の封神計画を考えました。それは、「上級の仙人」が、高度な仕事をするには、心に余裕が必要なので、高級リゾートの様に、「仙界」を余裕ある空間にするため、「仙界」と「人間界」の間に「神界」と言う世界を創り、「下級の仙人」と「人間離れした人間」を、「神」にして、「神界」に移住させて、新しい安定した世の...

光る動物(26)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(19)-蜚廉から風伯へ(11)

ある日、『姫昌』が、狩りをしに行く前に、気まぐれに、占い師に、「狩りの成果を占ってくれるか。」と聞きました。すると、占い師は、「今回の収穫は、鳥獣をではなく、人材でしょう。」と言いました。『姫昌』は、面白い事と言って、狩りに出かけると、河で老人が、釣りをしている姿を目にしました。しかし、近寄ってみると、返しの無い真っ直ぐな針に餌もつけず、それどころか、針は着水するどころか、水面の数cm上の所に針が...

光る動物(25)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(18)-蜚廉から風伯へ(10)

『姫昌』は、自国に戻ってから、仁政を施していたので、次第に、『姫昌』が統治している「周」に、人々が集まって来ました。また、近隣の国同士で、揉め事が起きると、『姫昌』に、調停を頼みに来る諸侯もいました。ある時、「虞国」の君主と「芮国」の君主が、『姫昌』に、揉め事を調停してもらうため、やって来ました。「虞国」の君主と「芮国」の君主は、それぞれ別々に、『姫昌』が統治している「周」を通って来たのですが、そ...

光る動物(24)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(17)-蜚廉から風伯へ(9)

『紂王』の叔父に、高い学識や人徳、深い信仰を持ち、慈悲深く、聖人と呼ばれる『比干』がいました。ある時、『比干』は、「国力が落ちている今、悪い習慣は立ち切らなければいけません。臣下たる者は、命をかけて、諫言しなければならないので、あえて言います。「炮烙の刑」と言う残酷な刑罰を見て、国民は嫌悪感を抱いています。また、現在、兵力が十分と言えないのに、そのような刑で、無駄に国民が死亡すると、兵力が落ちます...

光る動物(23)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(16)-蜚廉から風伯へ(8)

『崇侯虎』の讒言で、干し肉にされた『仇侯』の子『秀』と干し肉にされた『鄂侯』の子『禹』は、諸侯と盟約を結んで、東方で反乱を起こしたそうです。『紂王』は、自分に逆らうとどうなるかを知らせると言って、自らも加わり、遠征に向かったそうです。しかし、抵抗は激しかったので、何度も遠征を行ったそうです。その結果、軍費が増大し、死人も多く出て、国内には、厭戦気分が蔓延しました。『紂王』の兄『微子啓』は、穏やかな...

光る動物(22)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(15)-蜚廉から風伯へ(7)

『姫昌』の長男『伯邑考』は、幽閉された父『姫昌』を解放してもらうため、家宝三点を土産に、『紂王』の元に訪れました。そして、得意の琴で、『紂王』を感動させると、『紂王』は、『姫昌』の罪を許すと言いました。その夜、『伯邑考』は、良かったと安心して、休んでいると、『妲己』が来て、誘惑してきました。しかし、『伯邑考』は、きっぱりと誘惑を断ったため、『妲己』は、辱めを受けたと言って、逆恨みしました。そして、...

光る動物(21)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(14)-蜚廉から風伯へ(6)

会議に出席するため、四大諸侯の1人『姫昌(文王)(寧王)』が、宮殿へ向かいました。到着した時は、まだ会議が始まっていなかったので、集まった諸侯たちは、「『九侯』と『鄂侯』が、『紂王』の機嫌を損ねて、処刑されたらしい。我らも、何時同じ目にあるかもしれないから、『紂王』のご機嫌を伺って、気を付けなければいけないな。」と小さな声で話していました。この話を聞いていた『姫昌』は、同僚の非業の死を考え、「窮屈...

光る動物(20)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(13)-蜚廉から風伯へ(5)

『紂王』は、重税を課し、反抗する人々を殺害し、儀式で、必要だと言って、多くの人間を生贄とし、また、外征を頻繁に行ったので徴兵も行われ、民衆は「殷(商)」に対して、嫌悪感を持つようになり、諸侯たちも、不快な気持ちを抱いていました。「殷(商)」の『紂王』を補佐する四大諸侯の1人の『仇侯鄧』の娘が美貌だったため、『紂王』は、自分の側室になるように要求しました。しかし、彼女は、側室になることを激しく拒んだ...

光る動物(19)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(12)-蜚廉から風伯へ(4)

ある時、『紂王』は、人類を創造し、人類の始祖の女神『女媧』に対して、「『女媧』は、世界中の人間より美しい。『女媧』が、私のものであったらいいのに。」という意味の詩を詠んだそうです。この無礼な詩を聞いて、『女媧』は怒り、千年生きた狐狸の精霊に、『紂王』を、陥れるよう命じたそうです。そのため、狐狸の精霊は、後宮に入ることになっていた冀州侯『蘇護』の娘『妲己』の魂魄を滅ぼして、身体を手に入れ、『紂王』を...

光る動物(18)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(11)-蜚廉から風伯へ(3)

『紂王』より、討伐を命じられた『祟候虎』でしたが、一番大切なのは、『妲己』を殺さず連れてくる事と、厳命されていたので、『蘇護』軍を全滅させる事は、『妲己』を殺す事になるので、絶対に避けなければいけませんでした。そのため、『祟候虎(崇侯虎)』は、全滅させるのは簡単だが、『蘇護』の娘『妲己』を殺さず連れてくるのは、どうすれば良いのかと、攻めあぐんでいました。すると、『祟候虎(崇侯虎)』軍に、援軍として...

光る動物(17)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(10)-蜚廉から風伯へ(2)

『妲己』の父は、政治家には珍しい位清廉な冀州候『蘇護(蘇忿生)』でした。『紂王』に、気に入られていた宦官『費仲』は、本来、貢物を貰うような立場ではないのに、『紂王』に、気に入られていたのをいいことに、諸侯に賄賂を要求していました。しかし、清廉な冀州候『蘇護』が、賄賂を嫌い、貢物をを送らないので、宦官『費仲』は、思い知らせるため、美女好きな『紂王』に、『蘇護』の娘『妲己』が、物凄い美人だと勧めたそう...

光る動物(16)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(9)-蜚廉から風伯へ(1)

『風伯』が、人間だった頃の『飛廉(蜚廉)』は、『紂王』に仕えて、信仰心があつく、天に対する、祈りと感謝を、常に忘れませんでした。『飛廉(蜚廉)』は、走るのが速く、小回りが利いたので、『紂王』から密命を受けて、人事の適材適所の配置などの参考にするため、『紂王』に仕えている各人の戦闘能力、采配、智謀、性格などについて、秘かに情報収集するという隠密のような仕事をしていましたが、「チクリ魔」として、諸侯か...

光る動物(15)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(8)

以前、『蚩尤』は、根源的な不滅の真理を極める為、祁山で修行を積んだのですが、その時の弟弟子で、風を操るすべを身に着けるため修行していた『風伯(飛廉)(蜚廉)(方天君)(箕星)(箕伯)』を呼びました。『風伯』は、頭に角を持ち、鹿の胴体で、翼があり、蛇の尻尾を持つ風神でした。ちなみに、『風伯』は、大昔、人間だったそうです。人間だった頃の名は、『飛廉』と言い、「殷(商)」の『紂王(帝辛)』に仕え、行政事...

光る動物(14)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(7)

そして、ある時から『軒轅(黄帝)』軍は、『炎帝』の兵士たちに、見えるように、軍事訓練を行い始めました。その後も軍事訓練は、3年間続きました。その間、戦闘力が増強している所を、見せつけたので、『炎帝』は、自軍の兵士たちが、敵の軍事力を見て、士気が低下するのを防ぐため、障壁を作り、敵の軍事訓練を見れないようにし、防御を固めて、状況を見守りました。しかし、実は、『軒轅(黄帝)』が、軍事訓練を見せつけてい...

光る動物(13)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(6)

神獣部隊が、龍神『応龍』の元を訪れて、援軍になって欲しいと頼みました。龍神『応龍』は、『軒轅(黄帝)』の活躍を知っていたので、すぐにでも援軍に駆け付けたかったのですが、「天帝」の許可が必要だったので、許可をもらいに行きました。「天帝」は、龍神『応龍』に、「新しい時代に、『軒轅(黄帝)』が必要だ。『軒轅(黄帝)』の力になって、新しい時代を、築いてきなさい。」と言いました。そして、龍神『応龍』は、『軒...

光る動物(12)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(5)

火を取り扱うのが得意だった『炎帝』により、あっという間に、城が炎に包まれました。城兵たちがパニック状態に陥り、どんどん城兵たちの士気が低下しましたが、神獣部隊の誘導と消火活動により、城兵たちは、パニック状態から脱出する事が、出来ました。しかし、『炎帝』が取り扱う火は、神出鬼没に出火してきました。『軒轅(黄帝)』は、このまま行くと、兵士たちの限界が来て、士気が低下し、やがては、全滅すると思い、この先...

光る動物(11)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(4)

『炎帝』は、時代が動いている事に気が付かなかったので、まだ、みんなから尊敬されていると思い、何をやっても許されると考えていたので、たびたび周辺諸国を、侵略していました。『炎帝』の事を尊敬していた時代を知らない新興勢力の諸侯たちは、たまりかねて、『軒轅(黄帝)』に助けを求めてきました。『軒轅(黄帝)』は、『炎帝』に不満を持つ諸侯たちを吸収して、一大勢力を築きました。そして、旧勢力の『炎帝』と、新しい...

光る動物(10)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(3)

追い詰められた『炎帝』は、気が合わなかったのですが、背に腹はかえられぬという事で、中原を黄河流域勢力下におさめていた戦闘能力の高い有熊国部落の首領で、かつ華夏部族連盟の首領でもある『軒轅(黄帝)』に、援軍を要請しました。『軒轅(黄帝)』は、『蚩尤』が、民を虐げていた事と将来の自分の障害になると、苦々しく思っていたので、援軍を出しました。そして、『軒轅(黄帝)』は、戦いの分析をした結果、武器の違いが...

光る動物(9)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(2)

『炎帝(炎帝神農)』は、聖徳があって帝位につき、医薬と農業と火を司り、人々の生活を長い間、安定させていましたが、120歳になり、体が弱り、権勢の衰退が見られました。そのため、各地で、反乱が起こり、世の中は乱れました。混沌としていた中、中原の東方の戦の上手い九黎族の首領『蚩尤』が、新興勢力として、頭角を現してきました。『蚩尤』には、誰にも負けないほどの野心がありました。そして、『蚩尤』の兄弟は、72...

光る動物(8)(カイコ)-カイコを始めた黄帝の話(1)

今から、光るカイコの話をしますが、まずは、その前に、カイコの飼育を語るためには、外せない『黄帝』について、話します。今から4-5千年前の中国の神話の時代、三皇(神)の治世を継ぎ、中国を統治した五帝(聖人)の最初の帝『黄帝(軒轅)(公孫)(姫軒轅)』が即位しました。『黄帝』は、中国の礎を築いた偉大な王で、多くの漢民族が崇拝し、現存する中国最古の医学書『黄帝内経素問』、『黄帝内経霊枢』の著者で、中国医...

日露戦争(24)-正露丸(4)

日露戦争後の1908年に「クレオソート丸」に名称が戻るまで、正式名称は、「征露丸」でした。その後、第二次世界大戦後、国際信義上「征」の字を使うことには、好ましくないとの行政指導があり、大幸薬品株式会社は、ラッパのマークの「正露丸」と改められたそうです。しかし、奈良県の日本医薬品製造株式会社だけは、現在も「征露丸」の名前で販売を続けているそうです。その後、1946年に、大幸薬品の創業者『柴田音治郎』...

日露戦争(23)-正露丸(3)

ちなみに、クレオソートは、2種類あります。まずは、ブナやマツなどの原木を乾留して得られる木タールを精製した淡黄色透明の液体の木クレオソート(日局クレオソート)は、正露丸の主成分で、医薬品となります。そして、木クレオソートとは、製法・成分の異なるクレオソート油(石炭クレオソート、工業用クレオソート)があり、これは、石炭を乾留する際に副生成物として得られるコールタールを蒸留した黒褐色の液体で、防腐剤と...

日露戦争(22)-正露丸(2)

日本の軍隊では、兵士の死亡原因が、日清戦争で、戦死より、不衛生な水源による伝染病による病死の方が多いという事に悩まされた日本軍は、感染症の対策に取り組んでいたそうです。陸軍軍医学校の教官『戸塚機知』三等軍医正は、1903年にクレオソートが、チフス菌に対する著明な抑制効果を持つことを発見しました。ドイツ医学に傾倒していた『森林太郎(森鷗外』)ら陸軍の軍医たちは、チフス以上に多くの将兵を失う原因となっ...

日露戦争(21)-正露丸(1)

日露戦争で、流行した薬と言えば、征露丸(正露丸)が思い出されます。正露丸の主成分の木クレオソートは、1830年にドイツ人化学者『カール・ライヘンバッハ』が、ヨーロッパブナの木から、木タールをつくり、それを精製して、作り出しました。その後、木クレオソートは、殺菌作用や防腐効果があると考えられ、化膿症の治療や外用消毒薬、食肉の防腐剤、鎮咳剤、肺炎や肺結核、その後、胃腸疾患の治療に使われるようになり、ア...

日露戦争(20)

1904年、日露戦争が始まるとすぐに、ロシア正教会は国を挙げて、日本に天変地異が起こるように、呪詛したそうです。しかし、日本に、天変地異が起きず、ロシアは、敗戦しました。その後、1923年、関東大震災が発生し、日本は、甚大な被害を受けました。そして、ロシアの宗教家たちや物理学者たちは、集まって、長い間話し合った結果、祈祷してから19年後に関東大震災が起きたので「神は、我々のいる場所から、19光年離...

日露戦争(19)

日露戦争の結果は、日本の勝利となりましたが、弱小国の日本により、世界最強と言われたロシアのバルチック艦隊が、壊滅するという予想もしなかった海戦の結果は、欧米諸国を驚愕させました。ちなみに、イギリスは日本海軍の勝因を詳細に研究した結果、軍艦の根本的な作り直しが必要になったそうです。そして、大砲を鋼鉄で囲んで動かして撃つ「砲塔」という概念が出きたそうです。その「砲塔」のため戦艦が巨大化し、弩級(ド級)...

日露戦争(18)-不思議な話(4)

315年頃、『日本武尊』が、東夷征伐の途中に、「矢作川の東側の高石山に、賊が住みつき、人々を苦しめている。」と聞きました。『日本武尊』は、賊の退治を行うため、矢を作る職人である矢作部たちに、矢を作るよう命じました。矢を作るための竹は、川の中州にありましたが、川の流れが速く、矢作部たちは、竹の生えている中州まで、行けませんでした。そこへ1匹の蝶が現れ人の姿となり、竹を切り取ってきたそうです。矢作部た...

日露戦争(17)-不思議な話(3)

1919年頃、筑摩型防護巡洋艦「矢矧」で、元軍人Kさんが体験した話です。Kさんは、砲術士を命じられました。鑑内を調べると使えそうな予備室があったので、副長に、「事務もあるので、自分用の部屋として、使用したい。」と、許可をもらいに行ったそうです。すると、副長から、「次室士官のくせに、ハンモックで十分だ。」と怒られました。しかし、Kさんは、バレないと思い、黙って予備室に忍び込み、荷物を運んで、勝手にその...

日露戦争(16)-不思議な話(2)

1959年の映画『海軍兵学校物語 あゝ江田島』に、うわさ話として出てきた心霊話があります。その、うわさ話の元になった話は、海軍士官の養成学校の江田島海軍兵学校の生徒だったAさんの体験談です。ある夜、Aさんは、上級生に生意気だと難癖をつけられて、御殿山を、10周、駆け足で回ってこいと言われました。当時、良くない事でしたが、上級生から理不尽な懲罰を受け、上からの命令は、絶対服従が、海軍兵学校の伝統でした...

日露戦争(15)-不思議な話(1)

『柳田国男』の「遠野物語拾遺」によると、日露戦争の時、陸上戦で、不思議な事があったそうです。ロシアの捕虜の数人が、「日本兵で、黒服を着ている兵隊を射てば、倒れたが、赤服や白服の兵隊は、いくら射っても倒れなかった。何故、倒れなかったのか?」と聞いてきたそうです。しかし、「ほとんどの日本兵は、基本、黒服なので、夏服の白服を着た日本兵やましてや赤い服を着た兵士は、珍しい。」とのこと。白い服と言えば、出雲...

日露戦争(14)-ロジェストヴェンスキー(5)

『ロジェストヴェンスキー』は、ロシアに戻ってすぐに、大将に昇進しました。その後、1906年に、日露戦争に関する軍法会議が開かれました。その時、『ロジェストヴェンスキー』は、「敗戦の責任は自分にある。自分と『ネボガトフ』だけを訴追すればいい。」と発言しましたが、戦闘中に重傷を負い指揮権を持っていなかったとして、少将に降格されただけでした。その代わり、『ロジェストヴェンスキー』が倒れた後、全軍の指揮を...

日露戦争(13)-ロジェストヴェンスキー(4)

捕虜となった『ロジェストヴェンスキー』は、佐世保の海軍病院に入院しました。1905年6月、『東郷』が、軍服ではなく、白いシャツという平服姿で見舞いに訪れました。病室に入ると、『ロジェストヴェンスキー』を見下ろす形にならないよう、枕元の椅子にこしかけ、顔を近づけて、状態を気づかいながら、日頃は、極端な寡黙で知られる『東郷』が、周囲の将校が驚くほど、饒舌に話し始めました。「我々軍人が、たとえ負けたから...

日露戦争(12)-ロジェストヴェンスキー(3)

日露戦争開戦当初、『塚本克熊』中尉は、古い掃海艇で、機雷の排除を行っていました。しかし、その艦が触雷して、沈没したので、旗艦「三笠」に収容されたそうです。「三笠」で、『塚本』は、『東郷』と顔見知りになり、日本では、『東郷』しか持っていない、艦の据付望遠鏡を超える高倍率のドイツのカール・ツァイス社の双眼鏡に、興味があると話したところ、『東郷』は、こころよく双眼鏡を、貸してくれました。そして、『塚本』...

日露戦争(11)-ロジェストヴェンスキー(2)

旗艦「クニャージ・スヴォーロフ」で指揮をとっていた司令長官『ジノヴィー・ペトロヴィチ・ロジェストヴェンスキー』は、戦いが始まってから約30分で、『東郷平八郎』司令長官が率いる日本艦隊の集中砲火を浴び、司令長官『ロジェストヴェンスキー』は、右肩骨折、右足踵の動脈切断という重傷を負い、全身血まみれで、顎髭も半分焼けて、ボロボロになりました。駆逐艦「ベドーヴイ」は、旗艦「クニャージ・スヴォーロフ」に近づ...