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ラスプーチンとタフな犬の話(1)-ラスプーチン(1)

ラスプーチンという名を一度は聞いたことがあると思います。ラスプーチンは、ロシア皇帝ニコライ2世に信頼された怪僧です。ラスプーチンには妻と3人の子供がいましたが、ロシア革命の際、娘のマリア・ラスプーチン以外は殺害されたそうです。その後、彼女はフランスに亡命し、ヨーロッパ、アメリカ、南米などで、サーカス・パフォーマーとして活躍した後、カリフォルニアに落ち着き父親の汚名を返上するために、伝記などの本を書...

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ラスプーチンとタフな犬の話(2)-ラスプーチン(2)

そして、皇太子の枕もとに坐り、祈りの言葉を唱えたそうです。そして、「眼をあけて笑ってごらん。もう苦しくないよ。」と言ったそうです。すると驚いたことに、今まで息もたえだえだったのですが、ベッドの上で、起き上がり、笑ったそうです。そして、「血をたくさん失ったので、冷たい水を飲ませます。」と言いました。「でも、水を飲んではいけないと医者に言われています。」と皇后が言いました。「いいから水を。」と重ねて言...

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ラスプーチンとタフな犬の話(3)-ラスプーチン(3)

ユスポフ公や宮廷貴族たちはラスプーチンが、宮廷人事に口を挟みはじめた事に危機感を抱いていたそうです。そのため、ラスプーチンを暗殺するために招待したそうです。甘いものが大好物で虫歯だらけであったラスプーチンは、まず、出された青酸カリ入りのお菓子を残らず食べたそうです。それでも死なないので、さらに毒入り葡萄酒が出されました。そして、それを一気に飲んでも、変化が無かったそうです。(その理由として青酸カリ...

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藤原氏と陰陽師と天皇(7)

当時、藤原氏は、天皇即位に関して、大きな影響力を持っていました。だから、藤原一族間の争いにより、天皇が代わりました。ちなみに、『花山天皇』は、太政大臣『藤原伊尹』の外孫だったので、叔父の『円融天皇』が即位した時、『円融天皇』の実子がいたのですが、朝廷第一の実力者『藤原伊尹』の力で、次期皇位継承者の皇太子『師貞親王』になり、そして、『花山天皇』になれたそうです。ちなみに、『花山天皇』の父親は、『円融...

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藤原氏と陰陽師と天皇(8)

『藤原元方』の娘『祐姫』が『冷泉天皇』の父親『村上天皇』の長男『広平親王』を生んだので、『藤原元方』は、出世していったそうです。その後、『藤原師輔』の娘『中宮・安子』が、『村上天皇』の次男『憲平親王(冷泉天皇)』を産み、『藤原師輔』の権勢により生後2ヶ月で皇太子に立てられ、『広平親王』の将来は閉ざされました。そのため、『藤原元方』は深く失望し、悶死したそうです。そのため、『冷泉天皇(冷泉院)』に祟...

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藤原氏と陰陽師と天皇(9)

『花山天皇』は、物だけではなく、女性に対しても、美に対する関心があり、熱しやすく冷めやすいタイプでした。天皇になる即位式開始の合図がある前に、高御座の帳を、上げ下げするなどの式典業務をしていた美しい女官『馬内侍』に一目ぼれして、突然、玉座の高御座の帳の中に引き込み、性行為を、はじめました。腰を上下したせいで、即位式用の冕冠についている宝玉や玉佩がぶつかる音がしたそうです。帳が下がっていたので、高御...

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藤原氏と陰陽師と天皇(10)

『花山天皇』は、『藤原兼家』の弟『藤原為光』の娘『藤原忯子』を、他の誰よりも一番寵愛していました。そして、『藤原忯子』が妊娠しました。 当時、出産は「穢れ」と言われ、妊娠したら、一旦、御所を離れ、実家などに戻ったりする事が、慣習でした。しかし、『花山天皇』は、実家に帰さず、側に置き、静養させる事無く、愛でました。しかし、次第に『藤原忯子』の体調が悪くなっていったので、『藤原為光』は、奪うように、実...

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藤原氏と陰陽師と天皇(11)

『花山天皇』は、深く落ち込んで、出家を考えたりしましたが、これからの人生も長いのに、出家すると、女性と大ぴらに付き合えなくなると考え、躊躇していました。『藤原義懐』ら側近たちは、『花山天皇』の性格をよく知っているので、出家は、一時的な気の迷いなので、思いとどまるように説得していました。『藤原兼家』は、前の天皇だった『円融上皇』と自分の娘『詮子』との間の子供『懐仁親王』を即位させ、天皇の外祖父となり...

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藤原氏と陰陽師と天皇(12)

ついてすぐに、出家するための部屋に入りました。『藤原道兼』は、「父親に、出家の事を言っていなかったので、少しの間、外出するけど、すぐ戻るから、先に出家しておいて下さい。」と言って、部屋から出ました。そして、隙間から出家したのを確認した後、父親の『藤原兼家』に、『花山天皇』の出家を報告するため、「元慶寺」を出ました。もちろん、『藤原道兼』は、出家するつもりはありませんでした。出家を確認した『藤原兼家...

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藤原氏と陰陽師と天皇(13)

『藤原兼家』の権力は、長男『藤原道隆』に引き継がれ、朝廷随一の実力者になっていました。そして、『藤原道隆』は、嫡男『藤原伊周』の強引な官位引き上げをしました。そのため、『藤原伊周』は、段階をえず、叔父『藤原道長』らを、一気に飛び越えて、内大臣に昇進していたので、苦労・怖いもの知らずで、周囲を見下していました。周囲の人々は、反感を持っていましたが、『藤原道隆』の権勢が強かったので、黙っていました。そ...

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藤原氏と陰陽師と天皇(14)

『藤原道長』が頭角を現してきたのは、『一条天皇』の母で、『藤原道長』の姉である『詮子』が、関係していて、『藤原伊周』の母の女流歌人として「女房三十六歌仙」にも選出された当代きっての才女で、誇り高かった『高階貴子』の事が、大嫌いだったからです。なぜなら、高階一族は、学者の血筋で、高い教養を持っていましたが、末流貴族にすぎなかったのに、『藤原道隆』が、妻の実家の高階一族を優遇したので、あっという間に、...

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藤原氏と陰陽師と天皇(15)

『花山法皇』は、19歳で出家した後も、自由奔放で、女性に対する興味は、当然、おさまりませんでした。出家後、『花山法皇』の身の回りの世話をしていた『中務』とその娘『平子』の母娘を同時期に寵愛して、それぞれ3人つづ子を産ませたそうです。そして、『中務』の産んだ御子を「母腹宮(親腹御子)」、『平子』の産んだ御子を「女腹宮(女腹御子)」と周囲の人々は、言ったそうです。でも、さすがに、この時代でも、出家した...

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藤原氏と陰陽師と天皇(16)

『藤原道長』の姉の皇太后『詮子(東三条院)』が病で倒れました。その頃、『藤原道長』は、『藤原伊周』が、何か密教の修法を行っていると耳にしました。『藤原道長』は、いい機会が来たと考え、「皇太后『詮子』の調子が悪くなったのは、『藤原伊周』の呪詛によるものだ。」との噂を流しました。すると『藤原伊周』が行っていたのは、『藤原伊周』の妹の中宮『定子』が、『一条天皇』の御子を妊娠していたので、安産の為の祈願で...

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藤原氏と陰陽師と天皇(17)

『藤原伊周』は、勅命ではないのに「大元帥法」を、密かに行ったとして、十分噂が広まったので、『藤原道長』は、政敵を葬る機会を得ました。そして、「花山院闘乱事件」、「東三条院呪詛」、「大元帥法」の3つの罪のため、『藤原伊周』、『藤原隆家』は、配流と決まりました。しかし、『藤原伊周』、『藤原隆家』は、配流の宣旨が下ってから、病気を口実に出立を拒み、安全と思われた中宮『定子』の居る中宮御所に、逃げ込んだそ...

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藤原氏と陰陽師と天皇(18)

検非違使の役人たちが、中宮御所にやって来ました。中宮という尊位にある女性が、衆目の前に姿を晒すなど、常識では考えられない事なので、御所に乗り込んできた検非違使の役人たちも、中宮『定子』の姿を見て動揺したそうです。『藤原隆家』、と『高階信順』は、そこで捕らえられました。『藤原伊周』は、外敵や悪疫が侵入することを防ぎ、火難除けの神『愛宕権現』を祀る「愛宕神社(阿多古神社)(愛宕さん)」で、有名な霊山「...

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藤原氏と陰陽師と天皇(19)

『一条天皇』は、出家しても、皇后宮『定子』が好きだったので、宮中に迎え入れたいと考えていました。しかし、出家後の后の入内というのは、異例であるので、例え天皇でも、内裏の中へ正式に入れる事が出来ませんでした。そのため、別宅を準備し、人目を避けて、夜遅く通い、夜明け前に帰るという事をしたそうです。『藤原道長』は、長女『彰子』を、『一条天皇』に、入内させていました。『彰子』を、立后させたいので、色々と手...

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藤原氏と陰陽師と天皇(20)

皇后宮『定子』は、『敦康親王』、『媄子内親王』を産みましたが、その後、、間もなく、皇后宮『定子』は、崩御されたそうです。中宮『彰子』は、12歳前後で入内したので、若い事もあり、なかなか御子を産みませんでした。そのため、中宮『彰子』に御子が授かるように、『藤原道長』は、霊場として人気があった、吉野の「金峯山寺」に御岳詣に行く事にしました。「金峯山寺」の御岳詣は20-1000日、肉食を断ち、行いを慎ん...

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藤原氏と陰陽師と天皇(21)

その後、中宮『彰子』が、御子(後の『後一条天皇』、『後朱雀天皇』)を産むと、『藤原道長』は、『敦康親王』を邪魔に思うようになり、邪険に扱うようになりました。中宮『彰子』は、『敦康親王』を大変可愛がっていたので、態度が急変した父『藤原道長』に、反感を持ったそうです。ちなみに、『敦康親王』は、『藤原道長』の嫡男『藤原頼通』とも、ものすごく親しかったそうです。そのため、『敦康親王』が20歳で死亡した後、...

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藤原氏と陰陽師と天皇(22)

『高階貴子』は、自分の子供たちが、中宮や内大臣になり、栄光の頂点だったのが、夫『藤原道隆』の死後、暗転し、不幸になっていくのが、耐えられず、また、心の支えとした息子たちが、遠く離れていくことに不安を感じ、自分の息子『藤原伊周』らの配流先まで、ついて行こうとして、乗っている車にしがみつきましたが、朝廷は、許しませんでした。その後、『高階貴子』は、病気になり、子供たちの安否を心配しながら、死んだそうで...

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藤原氏と陰陽師と天皇(23)

『花山法皇』は、出家した後、多くの従者を従えて、自分の権威を見せ付けるのを好み、相変わらずの奇行ぶりでした。賀茂祭の時、『花山法皇』は、蜜柑を紐に通して数珠にした異様な姿で、一度見たら、忘れられないような背の高い帽子をかぶっていた『高帽頼勢』ら多くの屈強な異装の従者を従え、街を、かっぽしていました。すると、『藤原斉信』が乗っていた車がありました。『藤原斉信』には、貸しがありました。数年前、『花山法...

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藤原氏と陰陽師と天皇(24)

『花山法皇』は、今までの事があったので、自分の力を示そうと、『高帽頼勢』らの従者に命じて、『藤原斉信』と『藤原公任』の車をめちゃくちゃに破壊しました。『花山法皇』は、無茶したので、普通だと、逃げ隠れするのが、自分が捕まるはずないと、たかをくくって、むしろ気勢を上げていました。『花山法皇』は、翌日、賀茂祭の後、朝廷から派遣された舞人たち祭使一行が、天皇の前で、舞う為に、加茂社から朝廷へ戻っていくのを...

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藤原氏と陰陽師と天皇(25)

その後、『花山法皇』は、紀伊国熊野を基点として、三十三所の観音霊場を巡礼され、大きな法力を身につけられたそうです。『花山法皇』が、比叡山に行った時、法師たちが法力比べをしていました。ある法師が、『花山法皇』に向かって、自分の法力が一番だと自慢していると、『花山法皇』が、「では、その法力を試してみよう。」と念を唱えると、その法師は、屏風の面に吸い付けられて、身動きできなくなったそうです。『花山法皇』...

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藤原氏と陰陽師と天皇(26)-亀の恩返し(1)

『花山法皇』の三十三所巡礼のコースは、現在、「西国三十三所」と言われています。ちなみに、「西国三十三所」、「三十三間堂」、「江戸三十三箇所」、「坂東三十三箇所」、「坂東三十三観音」などの観音様に関連して、33という数字が出てきます。何故、33という数字が使われているかと言うと、、観音様が世を救済する時、『菊池としを』先生の漫画「明王伝レイ」のように、状況に応じて、「 阿弥陀如来」、「梵天」、「帝釈...

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藤原氏と陰陽師と天皇(27)-亀の恩返し(2)

以前『藤原高房』が、助けた大きな亀が、『藤原山蔭』を、甲羅に乗せて現れたそうです。そして、「『藤原高房』の後妻が、自分の子供を跡継ぎにしたいので、邪魔な先妻の子『藤原山蔭』を、船から淀川に突き落した。」という衝撃の事実を知ったそうです。『藤原高房』は、何はともあれ、『藤原山蔭』が無事に戻って来た事に感謝し、観世音菩薩像と寺を造ることにしたそうです。そして、観音菩薩像を彫るのに適した香木を、中国の唐...

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藤原氏と陰陽師と天皇(28)-亀の恩返し(3)

その後、『藤原高房』の子『藤原山蔭』が、太宰府に赴任たそうです。ある日、浜辺を散歩している時、父の銘のついた香木を発見したそうです。その偶然に、運命を感じ、父の遺志継続を決心したそうです。『藤原山蔭』は、任期を終えたので、香木を携えて、都への帰宅の途につきました。その途中、現在の大阪府茨木市の辺り来た時、香木に根が生えたように、重くなりました。どうしたものかと、途方にくれましたが、もしかすると、仏...

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藤原氏と陰陽師と天皇(29)-亀の恩返し(4)

なかなか良い仏師が見つからないので、仏様にアドバイスをもらおうと考え、『藤原山蔭』は、奈良の「長谷寺」に籠もり祈願を重ねました。すると、ある夜、夢枕に、「明日の朝、最初に出会う者が名工なので、自宅に招待しなさい。」とのお告げがありました。翌朝、寺の門前で、15才位のみすぼらしい身なりをした童子の仏師に出会ったそうです。『藤原山蔭』は、幼く、あまりにも汚い恰好をしていたので、声を掛けるのを、ためらい...

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藤原氏と陰陽師と天皇(30)-亀の恩返し(5)

造仏を始めて、千日目の早朝、『藤原山蔭』が、いつもの様に、食事を持っていこうと支度していると、仏舎から、「長谷の観音様はどちらに?」と声が聞こえました。すると、「行基菩薩よ、今帰るところよ。」と声が聞こえました。そのため、『藤原山蔭』が、急いで仏舎に駆けつけると、童子が空に飛び去っていくところが、見えました。そして、仏舎には、不思議な事に、腐らずに、調理したての千日間の食事が、お供えされた状態で、...

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藤原氏と陰陽師と天皇(31)-亀の恩返し(6)

『藤原山蔭』は、仏師の童子に、毎日休まず、仏舎の中から出てこないで、一生懸命、仏様を彫刻していると思うと、十分とは言えないかもしれませんが、せめて、料理の味や見た目を楽しんでもらおうと、勉強し、色々と試行錯誤し、工夫して、仏師の童子の口に合うよう、美味しい調理方法を考案し、毎回、違う種類の料理をしたので、料理に、とても詳しくなりました。当時、中国の唐の食習慣・調理法が、日本にもたらされていました。...

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藤原氏と陰陽師と天皇(32)-亀の恩返し(7)

「総持寺」では、毎年、『藤原山蔭』の命日4月18日に、御祭儀式として「山蔭流包丁式」が、鯉を使って、奉納されているので、誰でも見学する事が出来ます。18日は、亀の話の始まりの、観音様の縁日でもあります。「包丁師」が、雅楽の調べの中、烏帽子と直垂という装束で現われて、大きなまな板の前に座り、食材には、直接手を触れず、右手に包丁、左手に真魚箸という長い箸を持ち、生き物の死骸を食べ物に、変換させる清めの...

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藤原氏と陰陽師と天皇(34)

『藤原道長』は、有力な兄がいた時は、さほど目立たない存在で、権力を持つ事を、あきらめていたので、豪放で細かい事を気にしない性格でしたが、兄たちが死んで、権力を手にしてからは、調子づいて、万物は自分の為にあると考えるようになり、傲慢になりました。それは、ボクシングの元世界2階級王者で、亀田三兄弟の次男『亀田大毅(浪速乃弁慶)』さんと同じです。『亀田大毅』さんは、ボクシングに関しては、兄や弟と比べると...

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藤原氏と陰陽師と天皇(35)

お気に入りの人を、官人にしたかったのですが、採用試験成績が悪かったので、試験を管理する式部省の『橘淑信』を拉致し、手心を加えるように迫り、合格させたそうです。ちなみに、普通なら拉致する時は、他人から見つからないように、隠して拉致するところを、『橘淑信』を歩かせて、堂々と拉致したそうです。ちなみに、この時は、『藤原道長』の父『藤原兼家』が、まだ、生きている時だったので、父『藤原兼家』から、やりすぎだ...

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藤原氏と陰陽師と天皇(36)

『藤原道長』は、権力を手にしてから、昔の面影はなくなり、調子づいて、傲慢になり、全ては自分のためにあると、考えるようになりました。事件の始まりの『法成寺』の造設の時も、材料が必要になれば、羅生門、新泉苑、乾臨閣、左右京職、穀倉院など重要な施設からも、勝手に礎石などを運び出したそうです。そして、道筋にあった民家を、当然のごとく解体し、その時に出た木材など、使えるものは全て略奪したそうです。その工事の...

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藤原氏と陰陽師と天皇(37)

ある時、『藤原道長』の六男『藤原長家』は、大納言兼右大将『藤原実資』との間に、トラブルが起きました。そのため、『藤原長家』は、『藤原実資』の従者の『紀元武』、『高扶明』を、拉致監禁しようとしました。しかし、『藤原道長』は、一流の学識人で、筋を通した態度を貫く『藤原実資』が、苦手だったので、もめたくなかったので、仲裁したそうです。『藤原道長』の子供たちで、特に、乱暴者として有名なのは、若い頃の『藤原...

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藤原氏と陰陽師と天皇(38)

『藤原能信』の不良仲間の右近衛将監・『藤原頼行』が、強姦を企てたそうです。そして、『藤原頼行』の要請を受けて、『藤原能信』は、気が荒く、力自慢の従者を、加勢に派遣したそうです。しかし、ちょっとした事で、口論となり、武器を使った大喧嘩となり、従者は射殺され、強姦は、失敗したそうです。『藤原頼行』は、一旦検非違使に捕まったそうですが、これ以上の混乱を避けるため、すぐに、解放されたそうです。他には、不良...

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藤原氏と陰陽師と天皇(39)

『藤原道長』と、『芦屋道満』に依頼して、呪った張本人の従兄弟の『藤原顕光』の関係は、因縁が深いものでした。『藤原道長』の祖父『藤原師輔』が死亡した時、その子供達で、後継者争いがありました。長男『藤原伊尹』が、後を継ぎましたが、すぐに死亡しました。そのため、次男『藤原兼通』と三男『藤原兼家』の間に、後継者争いが行われ、次男『藤原兼通』が、勝ち、関白になりました。『藤原兼通』と、『藤原兼家』は、以前よ...

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藤原氏と陰陽師と天皇(40)

『敦明親王』が、皇太子の地位を、自ら降ると言い出したのです。『藤原道長』が、経済的保障を約束し、天皇になると、色々大変で、自由が利かなくなるので、天皇にならない方が良いという事を納得させ、自ら皇太子廃位するように、しむけたのでした。しかも、『敦明親王』は、『藤原道長』の娘『寛子』を娶り、愛情もそちらへ移りました。そして、かわって皇太子となったのは、『藤原道長』の娘で、『一条天皇』の中宮『彰子』が、...

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藤原氏と陰陽師と天皇(41)

『藤原顕光』の娘『延子』は失意のまま、死亡したそうです。『藤原顕光』は、娘の死体を抱いて、大声で泣き叫んだそうです。その後、『藤原顕光』は、『芦屋道満』に命じて、娘『延子』の遺髪を渡して、『藤原道長』を呪詛し、「法成寺」の事件が起きたそうです。そして、『藤原顕光』は、死んだそうです。その後、『藤原道長』の娘『嬉子』は、『後朱雀天皇』に入内し、妊娠したそうです。すると、『藤原顕光』と娘『延子』の怨霊...

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藤原氏と陰陽師と天皇(44)

『藤原道長』は、豪華絢爛な「法成寺」に住んだそうです。『藤原道長』は、50歳を過ぎた頃から、糖尿病になり、急激に痩せてきて、水をよく飲むようになったそうです。さらに、糖尿病の合併症の白内障になり、視力も悪くなり、当時は眼鏡も無かったので、目の前の人物の顔の判別もできなくなったそうです。それに加えて、胸病(心臓神経症)の持病もあったそうです。そして、死の数日前から背中に腫れ物ができ、苦しくなり、どん...

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藤原氏と陰陽師と天皇(45)

平安時代、死は穢れとして、忌み嫌われていたので、天皇や一部貴族以外では、墓をつくらず、庶民も平安貴族も、破棄(風葬)が一般的でした。現在、京都の京都市東山区から西大谷に至る東山山麓は、八坂神社や清水寺、高台寺など人気観光スポットが集まる場所で、鎌倉時代には、京都を監視するための「六波羅探題」があり、重要な地域で、「六波羅探題」が出来る前は、平家の領地でした。しかし、昔は、その場所は、この世とあの世...

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藤原氏と陰陽師と天皇(46)

『藤原顕光』の祟りにより、色々悪い事が起きたと考えられたので、『藤原顕光』は、『悪霊左府』と呼ばれるようになったそうです。ちなみに、『藤原顕光』は、徳川四天王に数えられる『本多忠勝』、『徳川家康』の参謀『本多正信』の先祖だそうです。ちなみに、『本多忠勝』は、生涯57回の戦で、1度もかすり傷を負わなかったそうです。しかし、天下無双の『本多忠勝』は、小刀で彫り物をしていて、自分の名前を刻もうとした時、...

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藤原氏と陰陽師と天皇(47)

以前書いた通り、関白を巡って激しい政争が、『藤原伊周』と『藤原道長』の間に、繰り広げられていたそうです。その時、『藤原伊周』の母『高階貴子』の妹『高階光子』が、陰陽師の『円能』に命じて、呪詛事件を起こしたそうです。それが、いつの間にか、『藤原顕光』と『安倍晴明』と『藤原顕光』と『芦屋道満』の話に、なったそうです。そして、『藤原道長』、『藤原道長』の娘『彰子』、そして、『藤原道長』の孫『敦成親王(後...

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藤原氏と陰陽師と天皇(48)

『藤原道長』の妻は、数人いましたが、『藤原頼通』と『藤原教通』らの母『源倫子』と、『藤原能信』らの母『源明子』の2人を、特に愛し、『源倫子』には、男子2人、女子4人、『源明子』には、男子4人、女子2人それぞれ、6人づつ子供が出来ました。『藤原道長』の最初の妻『源倫子』は、当時の現職の左大臣『源雅信(『宇多天皇』の皇子『敦実親王』の子)』の娘で、『藤原道長』の出世の大きな助けになりました。それに対し...

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藤原氏と陰陽師と天皇(49)

正妻の『源倫子』の子供たちは、順調に出世を遂げたのに対し、『源明子』の子供たちは、出世に限界がありました。そのため、『源明子』の子供たちは、『源倫子』の子『藤原頼通』の機嫌を取って、出世を図ろうとしました。『源明子』の子『藤原能信』は、それを良しとせず、機嫌を取るどころか、公然と『藤原頼通』と口論して、父『藤原道長』の怒りを買うこともあったそうです。そのため、『藤原能信』は、正二位権大納言以上には...

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藤原氏と陰陽師と天皇(50)

『後朱雀天皇』が重体に陥った時、『藤原能信』は、『後朱雀天皇』に懇願して、皇子がいない次期天皇『後冷泉天皇』の次は、『尊仁親王』が天皇になるように、約束してもらいました。しかし、『後冷泉天皇』の妃は、『藤原頼通』と『藤原教通』のそれぞれの娘がなっていて、男子が生まれれば、皇太子は、変更されるだろうと周囲の人々は考え、『尊仁親王』や『藤原能信』への眼は、冷たいものがありました。関白を50年間務め、実...

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藤原氏と陰陽師と天皇(51)

『後三条天皇』即位の3年前に『藤原能信』が死亡していたので、『後三条天皇』は、感謝の意味を込めて、『藤原能信』の養子『藤原能長 (『藤原能信』の兄『藤原頼宗』の子)』を、内大臣に大抜擢しました。そして、『後三条天皇』は、反摂関家で、『安倍晴明』の先祖『源師房』や『源経長』らを登用して、摂関家の政権独占打破を図り、有能な『大江匡房』や『藤原実政』らの中級貴族などを登用し、積極的に親政を行ったそうです...

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日露戦争(1)-義和団の乱-ニコライ2世(1)

日露戦争開始前、ラスプーチンを敬愛していたニコライ2世は、ものすごく日本を軽蔑していました。日清戦争で日本が勝利し、日本と清との間で結ばれた下関条約により、遼東半島が日本に割譲されました。ニコライ2世は、「日本の小猿が良い気になっている。黄色人種などの有色人種の国々は、優秀な白人人種の植民地にしかすぎない。我が国が本気を出せば、すぐに領土を差し出し、我が前にひれ伏すだろう。」と言っていました。キリ...

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日露戦争(2)-ニコライ2世(2)

『ニコライ2世』は、日露戦争開始時、日本の状況を把握するために、日本を偵察した『グロンプチェスキ』少将に意見を聞きました。『グロンプチェスキ』少将は、「日本の海軍の戦力は、我が国の半分です。また、陸軍の戦力は、15分の1位で、かなり劣っています。しかし、精強で、軽視すべきではありません。」と報告しました。すると、『ニコライ2世』は、「君は、長年の極東勤務で、神経がおかしくなっている。6ヶ月の長期休...

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日露戦争(4)-ロジェストヴェンスキー(1)

バルチック艦隊の司令長官『ジノヴィー・ペトロヴィチ・ロジェストヴェンスキー』の航海は、かなり困難な物でした。ロシアは、日本艦隊が日本に着くまでの間、奇襲攻撃を想定し、世界各地でエージェントを雇い、日本艦隊の動向を監視させました。すると、エージェントは報奨金目当てに、日本の水雷艇を発見したと、世界各地から情報を送って来ました。そのため、バルチック艦隊は、神経過敏に陥っていました。そして、ドッガーバン...

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日露戦争(5)-『秋山真之』(1)

最近、教科書検定の近隣諸国条項により、日本の歴史が、おろそかになっているので、若い人は知らないと思いますが、「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」の名文で知られる海軍の『秋山真之』は、『正岡子規』と幼馴染で、一緒に文学の道を目指した事もあったそうです。『秋山真之』は戦術の達人で、機雷敷設や七段構えの戦法など、バルチック艦隊の迎撃作戦を考えました。そして、『秋山』は、日露戦争(日本海海戦)の報告文で、「天と...

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日露戦争(6)-『秋山真之』(2)

1905年、日露戦争の時、ロシアのバルチック艦隊の航路が、対馬海峡か、太平洋を迂回して、津軽海峡や宗谷海峡から来るのかが、分からず、何度も作戦会議が開かれていました。連日の激務で疲ていた『秋山』は、椅子に座ったまま眠ってしまいました。すると、再び「名探偵コナン」の「眠りの小五郎」ではありませんが、目の前に、対馬海峡の全景が広がりました。そこに、バルチック艦隊が二列で来たのが見えました。「分かった!...

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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

短期間ですが、
オーストラリアなど
海外の複数の動物園や水族館で、
研修した事があります。
詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。
詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

高校時代、
試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、高校の時は、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖が笛が得意だったのと、
子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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