日露戦争(10)

日露戦争時、日本艦隊は、海軍の『宮原二郎』が発明した、蒸気タービンエンジンの動力の源の「宮原式水管汽罐(ボイラー)」と言う当時、世界最速のエンジンを取り付けていました。「宮原式水管汽罐」は、価格が、当時の世界標準の半分以下で、給水・掃除が容易で、耐久性に富み、燃費がよく、小型でありながら高馬力であるというものでした。日露戦争の勝利には、「宮原式水管汽罐」により、日本海軍の機動性が、良くなったことも...

日露戦争(9)

1905年、『秋山』が夢で暗示を受けた対馬海峡を、哨戒中だった「信濃丸」が、相手に気づかれることなく、バルチック艦隊の病院船「アリヨール」を発見しました。ちなみに、艦隊を発見を打電した「信濃丸」は、当初、シアトル航路用貨客船だったそうですが、日露戦争のため、仮装巡洋艦となったそうです。日露戦争後、貨客船に復帰したそうです。ちなみに、『永井荷風』が渡米した時や、『孫文』が台湾から日本に亡命する時に、...

日露戦争(8)

日本は、ロシアに比べて、かなり戦力不足でしたが、優秀な人物が多くいて、「技術立国:日本」の名前の通り、知力、技術力、科学力で補いました。作戦計画の全てを担当した『児玉源太郎』は、視野が広く判断力に優れていて、日本軍の参謀育成の教官として、招かれたドイツ陸軍参謀将校の『クレメンス・ウィルヘルム・ヤコブ・メッケ』ルから、才覚を高く評価されていて、日露戦争開戦を聞いたメッケルは「日本に『児玉』が居る限り...

日露戦争(7)-秋山真之(3)

日露戦争の時、敵艦隊がいる旅順港を封鎖した時、敵艦隊が前日まで見えていたのに、朝になり、突然、敵艦隊が見えなくなりました。「封鎖を破って脱出したのでは?」と大騒ぎになりましたが、統率力、判断力、決断力ともに優れていた連合艦隊司令長官の『東郷平八郎』は、「敵は、脱出していない。内にいる。」と言って、平然としていました。そして、調査の結果、敵艦隊は、夜間に秘かに停泊地を変えたのですが、内港にいることが...

日露戦争(6)-秋山真之(2)

1905年、日露戦争の時、ロシアのバルチック艦隊の航路が、対馬海峡か、太平洋を迂回して、津軽海峡や宗谷海峡から来るのかが、分からず、何度も作戦会議が開かれていました。連日の激務で疲ていた『秋山』は、椅子に座ったまま眠ってしまいました。すると、再び「名探偵コナン」の「眠りの小五郎」ではありませんが、目の前に、対馬海峡の全景が広がりました。そこに、バルチック艦隊が二列で来たのが見えました。「分かった!...

日露戦争(5)-秋山真之(1)

最近、教科書検定の近隣諸国条項により、日本の歴史が、おろそかになっているので、若い人は知らないと思いますが、「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」の名文で知られる海軍の『秋山真之』は、『正岡子規』と幼馴染で、一緒に文学の道を目指した事もあったそうです。『秋山真之』は戦術の達人で、機雷敷設や七段構えの戦法など、バルチック艦隊の迎撃作戦を考えました。そして、『秋山』は、日露戦争(日本海海戦)の報告文で、「天と...

日露戦争(4)

バルチック艦隊の司令長官『ジノヴィー・ペトロヴィチ・ロジェストヴェンスキー』の航海は、かなり困難な物でした。ロシアは、日本艦隊が日本に着くまでの間、奇襲攻撃を想定し、世界各地でエージェントを雇い、日本艦隊の動向を監視させました。すると、エージェントは報奨金目当てに、日本の水雷艇を発見したと、世界各地から情報を送って来ました。そのため、バルチック艦隊は、神経過敏に陥っていました。そして、ドッガーバン...

日露戦争(3)-皇后の奇夢

日露戦争が始まった1904年2月10日、『昭憲皇太后(明治天皇妃)』が、「皇后の奇夢」と呼ばれる夢の話が発表されました。日露戦争開戦当時、『東郷平八郎』率いる日本艦隊が、バルチック艦隊をうまく捕捉して、叩き潰せば良いが、捕捉に失敗してし、旅順艦隊と合流してしまえば、日本海軍に勝ち目はないという状況だったので、新聞の漫画にまで書かれる程、日本国民の最大の関心事は、ロシアのバルチック艦隊の動向でした。『昭...

日露戦争(2)-ニコライ2世

『ニコライ2世』は、日露戦争開始時、日本の状況を把握するために、日本を偵察した『グロンプチェスキ』少将に意見を聞きました。『グロンプチェスキ』少将は、「日本の海軍の戦力は、我が国の半分です。また、陸軍の戦力は、15分の1位で、かなり劣っています。しかし、精強で、軽視すべきではありません。」と報告しました。すると、『ニコライ2世』は、「君は、長年の極東勤務で、神経がおかしくなっている。6ヶ月の長期休...

日露戦争(1)-義和団の乱

日露戦争開始前、ラスプーチンを敬愛していたニコライ2世は、ものすごく日本を軽蔑していました。日清戦争で日本が勝利し、日本と清との間で結ばれた下関条約により、遼東半島が日本に割譲されました。ニコライ2世は、「日本の小猿が良い気になっている。黄色人種などの有色人種の国々は、優秀な白人人種の植民地にしかすぎない。我が国が本気を出せば、すぐに領土を差し出し、我が前にひれ伏すだろう。」と言っていました。キリ...

昔話(151)-高峰譲吉(20)-日米の懸け橋(3)

無理がたたったのか、『高峰譲吉』が、体調を崩したので、静養することにしました。すると、そこへ『渋沢栄一』が、お見舞いに来ました。『高峰譲吉』は、「アメリカに渡って30年、せめて老後は、日本の風景に抱かれて暮らしたい。」と言うと、『渋沢栄一』は、涙を流しながら、「君の気持は、痛いほど分かる。しかし、日本は、危機的な状況下にあり、日米関係改善は、日本にとって、最大課題となっています。でも、日米関係改善...

昔話(150)-高峰譲吉(19)-日米の懸け橋(2)

『金子堅太郎』は、『渋沢栄一』から、アメリカに行ったら、『高峰譲吉』に、会うように勧められていたので、訪ねました。その時、『金子堅太郎』は、「日米関係が良くなるように、日本の良いところを、周知のほど、よろしくお願いします。」とお願いしました。『高峰譲吉』は、「ロシアは、アメリカの独立戦争や南北戦争で、アメリカを援助したので、アメリカ国民の8割は、ロシアに好意を持っています。日本には、関心が無い人が...

昔話(149)-高峰譲吉(18)日米の懸け橋(1)

『高峰譲吉』は、ジアスターゼなどの発見などによって巨万の財を得て、小さな池ではなく、湖があるような大豪邸に住んでいたそうです。1904年、日露戦争が始まりました。日本は開戦当初から、長期決戦では、日本の国力が持たないので、アメリカの介入による講和を期待し、『セオドア・ルーズベルト』米大統領とハーバード大学の同級生で、親交のあった『金子堅太郎』を、派遣しました。ちなみに、第26代米大統領『セオドア・...

昔話(148)-高峰譲吉(17)-アドレナリン(4)

『エイベル』が見つけた「エピネフリン(アドレナリン)」発見を、祝う行事の準備段階の一環として、1974年、『エイベル』の実験が、いかに優れていたかを、証明するための比較として、『上中啓三』が残していた実験記録と『エイベル』の実験記録を検証した結果、残念な事に、『エイベル』の主張が、まったく的外れであっただけでなく、『上中啓三』の方法では、「アドレナリン」は、結晶化しましたが、『エイベル』の方法では...

昔話(147)-高峰譲吉(16)-アドレナリン(3)

実験で、片目と片腕の自由を失っていた『エイベル』は、『高峰譲吉』が、死亡した5年後の1927年、突然、「アドレナリンの生成に成功したのは、自分の方が先で、『高峰譲吉』たちが、「アドレナリン」発表前に、自分の研究室を訪問した時に、盗作したものだ。」と主張し始めました。当時、アメリカの白人社会では、人種差別は、当たり前だったので、黄色人種の活躍に、強い拒否反応を持つ人が多かったそうです。そのため、『エ...

昔話(146)-高峰譲吉(15)-アドレナリン(2)

アメリカ合衆国のジョンズ・ホプキンズ大学の『ジョン・ジェイコブ・エイベル』は、血液がアミノ酸を含むことを発見し、腎臓病の治療に用いられる透析への道を、開いた事でも知られています。『エイベル』は、『高峰譲吉』と『上中啓三』から少し遅れて、ヒツジの副腎から、「アドレナリン」と同じ物質を分離し、「エピネフリン」と名付けました。ちなみに、「アドレナリン」は英語、「エピネフリン」はギリシア語で、副腎という意...

昔話(145)-高峰譲吉(14)-アドレナリン(1)

1895年に、『ナポレオン・キブルスキー』によって、動物の副腎から、血圧を上げる効果のある物質を抽出しました。「nadnerczyna」と名付けましたが、これは、「アドレナリン」以外に、その他のカテコールアミンも含まれていました。1900年に、『高峰譲吉』と助手の『上中啓三』は、シカゴにある食肉処理場から、廃棄されるウシの副腎から「アドレナリン」を発見し、1901年に、『上中啓三』が、世界で初めて結晶化に成...

昔話(144)-高峰譲吉(13)-タカヂアスターゼ(5)

1902年、『高峰譲吉』が、アメリカから日本へ一時帰国した時、神戸港大桟橋に接岸した客船ハンブルク号で、横浜へ向う間、『塩原又策』と初めて、直接、話をしました。航海中、『塩原又策』は、「タカヂアスターゼ」の効果に驚いた事、良い商品を任せてもらって、とても感謝している事、販売ルートを拡売するために行った、取り扱う薬局を増やすための飛び込みセールス、色々なプロモーション活動、医家への働きかけなど、話は...

昔話(143)-高峰譲吉(12)-タカヂアスターゼ(4)

1899年に、第1回万国商業大会に、日本代表として出席した『大谷嘉兵衛』は、アメリカ合衆国大統領『ウィリアム・マッキンリー 』と面会し、日本茶への高い関税についての撤廃を陳情し、太平洋の海底に電話線を引くことを提案すると、参加者の万雷の拍手を受け、アメりカの新聞に大きく報じられました。そして、日本のみならず、アメリカでも有名人になった『大谷嘉兵衛』は、『高峰譲吉』を訪ね、「自分の所で修行した『塩原...

昔話(142)-高峰譲吉(11)-タカヂアスターゼ(3)

『塩原又策』は、船舶給水業や貸地貸家業を行う事業家『塩原又市』の子供として、1877年、横浜に生まれました。父『塩原又市』と製茶販売商で、「茶の大谷」として広く知られた『大谷嘉兵衛』は友人関係でした。そして、『塩原又策』は、『大谷嘉兵衛』の「日本製茶会社」で、実務の手ほどきをうけ、 その後、1897年、『大谷嘉兵衛』と父が共同出資し、設立した「横浜絹物会社」で、取締役支配人になりました。 1897年...

昔話(141)-高峰譲吉(10)-タカヂアスターゼ(2)

「パーク・デービス(現 ファイザー)」社は、「タカヂアスターゼ」の事を知りましたが、黄色人種の日本の技術を見下していました。しかし、『高峰譲吉』のつくった「タカヂアスターゼ」の効果を調査した結果、従来の物に比べて約20倍も効果があったので、「パーク・デービス」社の社員たちは、ものすごく驚きました。そして、1897年、デトロイトに本社をおく「パーク・デービス」社から、『高峰譲吉』に、「タカヂアスター...

昔話(140)-高峰譲吉(9)-タカヂアスターゼ(1)

『高峰譲吉』は、命が助かった後、他の入院患者と雑談していると、食後の消化不良で困っている人が、沢山る事を知りました。日本では、昔から、「お餅を大根おろしで食べると消化が良い。大根おろしに医者いらず。」と言われている事が、日本にいた時から、気になっていて、時々、何か理由があるのでは?と色々と考える事がありました。そして、『高峰譲吉』は、病院で療養しながら、落ちついて、ゆっくりとした時間が流れる中、忙...

昔話(139)-高峰譲吉(8)-麹(6)

モルト工場の関係者たちは、銃で武装して、『高峰譲吉』の家に、侵入しました。『高峰譲吉』の家族全員は、危険を察知し、地下室の隠し部屋に、潜んでいました。モルト工場の関係者たちは、家じゅう探し回りましたが、『高峰譲吉』たちを見つけられなかったので、家と研究施設に火を放って、全焼させました。『高峰譲吉』たちは、命からがら逃げだし、自分たちの家が焼けるのを、呆然と見ていました。その後、「ウィスキートラスト...

昔話(138)-高峰譲吉(7)-麹(5)

渡米した後、『高峰譲吉』と『藤木幸助』は、米麹を使ったウイスキー作りの研究をし、完成したそうです。そして、米麹ウイスキーで、安く量産されたウイスキーは、全米で、大人気となりました。そのため、モルト工場の売り上げが減り、オーナーや職人などの関係者たちが、怒りました。後日、詳しく話しますが、2016年、アメリカ国民が、差別主義者の『ドナルド・トランプ』を大統領に選んだように、現在でも、基本白人は、人種...

昔話(137)-高峰譲吉(6)-麹(4)

1890年、『高峰譲吉』夫妻と2人の息子、そして、麹造りの職人「丹波杜氏」の『藤木幸助』を伴って、渡米しました。その後、『高峰譲吉』の家族は、そのままアメリカに永住する事になりました。ちなみに、『藤木幸助』は、7年間、アメリカで過ごしましたが、養父が病気で他界したので、帰国する事になりました。その後、再渡米しようとしましたが、家族の強い反対があって、断念しました。そして、白木造りの「高峰神社」を建...

昔話(136)-高峰譲吉(5)-麹(3)

『高峰譲吉』の妻『キャロライン』が、明治時代の日本での質素な生活を嫌い、また、『キャロライン』の母が、娘をアメリカに呼び寄せたいと考え、アメリカで特許を申請していた「高峰式元麹改良法」を、熱心にシカゴの「ウイスキー・トラスト社」に売り込んだ結果、アメリカの「ウイスキー・トラスト社」より、採用したいという連絡がありました。しかし、『渋沢栄一』は、「会社が軌道に乗っているのに、途中でやめるという事は、...

昔話(135)-高峰譲吉(4)-麹(2)

『高峰譲吉』は、万博の米国館で、肥料の資源として利用される、鳥の糞などが数千年から数万年堆積して、化石化したリン鉱石を見て興味を抱き、肥料による日本の農業改良を考えるようになり、日本に帰国後、肥料の研究、製造、販売を目的とした会社設立をするため、多くの企業の設立・経営に関わった「日本資本主義の父」と言われている『渋沢栄一』や、三井財閥の実業家『益田孝』らの実業家に対して、「日本の農業の発展のため、...

昔話(134)-高峰譲吉(3)-麹(1)

『高峰譲吉』は、工部大学校(後の東京大学工学部)応用化学科を、首席で卒業しました。そして、1880年から英国グラスゴー大学へ、3年間の留学したそうです。留学中、酒好きだったので、スコッチを大いに飲んで、楽しみましたが、好奇心から、その醸造技術を見学しに行きました。そこで、スコッチの醸造に、使用する大麦を発芽させてから、その酵素で糖化し、発酵させるので、手間もかかり、完成するのに半年以上かかると聞き...

昔話(133)-高峰譲吉(2)

『高峰譲吉』は、将来の進路を決定する際、3歳の頃、経験した「安政の泣き一揆」の事を、思い出しました。1858年、加賀で、冷夏や長雨などの自然災害のため、凶作となりました。そのため、商人による買占めや売り惜しみにより、米の価格が高騰し、庶民の生活は困窮したそうです。7月11日夜、凶作のため米不足で、苦しんでいた約2000人の町民たちが、卯辰山に登り、金沢城に向かって、「腹が減った!」「米くれぇー」と...

昔話(132)-高峰譲吉(1)

有名な『坂本龍馬』の写真や、日本最初の戦場カメラマンとして有名な『上野彦馬』は、医学伝習所で、オランダ軍医『ポンペ・ファン・メールデルフォールト』から、化学を学んで、化学の視点から写真の研究をし、長崎で、「上野撮影局(上野彦馬写真館)」を開きました。『坂本龍馬』の撮影場所は、「上野撮影局」で、撮影は、『上野彦馬』の弟子『井上俊三』と言われています。「上野撮影局」で、『上野彦馬』は、仕事の空いた時間...

昔話(131)-アルカロイド(20)-ドラッグ(16)

第二次世界大戦中、覚醒剤は、合法で、指示された適量を一時的に使っていただけなので、深刻な被害は、出なかったそうです。日本軍では、「メタンフェタミン」製剤は、「本土決戦兵器」の一つとして量産され、大量に備蓄されていました。敗戦後、日本軍の備蓄品が一気に市場へ流出すると、酒やタバコといった嗜好品の欠乏も相まって、人々が精神を昂揚させる手軽な薬品として、「メタンフェタミン」製剤が蔓延しました。特に、大日...

昔話(130)-アルカロイド(19)-ドラッグ(15)

連合軍は、ドイツ軍兵士の異常な強さと士気が異常に高い事に驚き、その理由を調べました。そして、その原因が、覚醒剤という事が分かったので、第二次世界大戦当時には、連合国軍と枢軸国軍の双方で、戦車、航空機や潜水艦の搭乗員を中心に、士気向上や疲労回復の目的で用いられました。ちなみに、連合国側では主に覚醒剤「アンフェタミン」が、使用されていたそうです。連合国のポスターに、仕事が大変なパイトットには、「アンフ...

昔話(129)-アルカロイド(18)-ドラッグ(14)

1938年にドイツで、「アンフェタミン」より、数倍の薬効を持つ、「メタンフェタミン」が、喘息治療の特効薬として、発売されましたが、向精神薬や咳止めとしての効果は、一時的なもので、強力すぎる覚醒作用や連続使用による依存性の問題が起き、ドイツでは、1941年には危険薬指定を受けて、一般人での使用は制限されるようになりました。しかし、ドイツ軍は、強力な覚醒効果を見て、まずは、1939年のポーランド侵攻時...

昔話(128)-アルカロイド(17)-ドラッグ(13)

現在、使用されている覚醒剤の主な成分は、「アンフェタミン」や「メタンフェタミン」ですが、覚醒剤の開発には、日本人が関係しています。1885年に、日本薬学の進展に寄与した日本の近代薬学の開祖の薬学者『長井長義』が、漢方で、呼吸器疾患や痛み止めとして、使われてきた常緑低木の「マオウ(麻黄)」のアルカロイドである「エフェドリン」を発見しました。現在も、気管支拡張剤として市販の風邪薬に、配合されています。...

昔話(127)-アルカロイド(16)-ドラッグ(12)

日本では、麻は、日本書紀などに書かれるくらい、古代から第二次世界大戦の終戦前までは、種子は大豆に匹敵する高い栄養価を持つと言われ、米と並んで、主要農作物だったそうです。茎などから、しめ縄などに使用する繊維が得られ、種子は食用として利用され、種子から採取される油は食用、燃料など様々な用途で利用されてきました。規制されるまで庶民の間は、腹痛や発熱、不眠症や結核患者に、使用されていました。大麻は、ほとん...

昔話(126)-アルカロイド(15)-ドラッグ(11)

大麻(マリファナ)は、植物のアサ(麻)から製造されます。「アルカロイド」は、窒素を含む有機化合物の総称ですが、大麻は、窒素を含まず、酸素と水素、炭素から出来ているので、「アルカロイド」には分類されず、「カンナビノイド」に分類されるそうです。花から製造されたものを、「ガンジャ」、樹脂から製造されたものを、「チャラス」、「ハシシ」と呼ぶそうです。大麻の歴史は古く、中国では、約2700年前に大麻を使用し...

昔話(125)-アルカロイド(14)-ドラッグ(10)

1943年4月16日、『ホフマン』の指先に、微量のLSD溶液が指先につき、皮膚から吸収されました。すると、めまいを感じ、ふらついたので、実験を中断して帰宅しました。帰宅後、横になりましたが、鮮明で刺激的な造形と強烈な色彩による、幻想的な世界が2時間ほど続きました。そのため、1943年4月16日が、「LSDの幻覚作用発見の日」と言われています。4月19日に、再び、効果を確かめるため『ホフマン』は、LSDを服...

昔話(124)-アルカロイド(13)-ドラッグ(9)

麻薬「LSD」は、スイスにある「A・Gサンド社(現ノバルティス)」で、スイス人化学者『アルバート・ホフマン』によって、合成されました。当時、「サンド社」は、薬用植物の有効成分を分離し、有効成分を化学合成する研究計画を始めていました。『ホフマン』は、イネ科の植物に寄生する麦角菌の「アルカロイド」について、単独で研究していました。その結果、麦角の「アルカロイド」精製物は、血管系平滑筋系に、影響を与えること...

昔話(123)-アルカロイド(12)-ドラッグ(8)

麻薬の「アヘン」は、ケシの「アルカロイド」で、鎮痛、催眠作用と共に陶酔感が得られます。「モルヒネ」は、「アヘン」から抽出され、鎮痛薬として使用されています。「ヘロイン」は、「モルヒネ」の誘導体で、作用や依存性はモルヒネを上回り、その禁断症状も激しいのが特徴です。「コカイン」は、コカの葉の「アルカロイド」で、禁断症状が無いとはいわれていますが、慢性中毒によって幻覚、妄想などが現れ心身衰弱を起こします...

昔話(122)-アルカロイド(11)-ドラッグ(7)

麻薬、覚醒剤、大麻などの違法な薬物を、混同している人がいますが、違法で、危険なのは同じですが、実は、違うものです。大まかに分ければ、次の通りです。麻薬は、「アヘン」、「モルヒネ」、「ヘロイン」、「コカイン」、「LSD」などがあり、鎮痛、催眠、陶酔感を誘発する、脱力系で、睡眠薬に近い性質で、日本では、「麻薬及び向精神薬取締法」により、規制されている薬物です。但し、コカインだけは、麻薬に分類されいますが...

昔話(121)-アルカロイド(10)-ドラッグ(6)

1451年にインドのラジャスタン州で生まれ、牛飼いだった『Guru Jambheshwar(Shree Guru Jambeshwar Bhagwan)(Jambho ji)』が、1485年、34歳の時、悟りを開いて、ヒンディー教を基本に、独自に発展させた教義をつくり、「ビシュノイ」を設立したそうです。そして、各地を説法して、行脚したそうです。その教義に賛同した人々が、集まり、共同生活をしたそうです。その人々を、「ビシュノイ」と言うそうです。現在、イ...

昔話(120)-アルカロイド(9)-ドラッグ(5)

20世紀初めまで、アヘン、モルヒネ、コカインなどの覚醒剤には、中毒性や精神障害などの副作用があるという事は、分からなかったので、あらゆる病気を治す奇跡の薬と言われ、使われていました。 だから、多くのメーカーが、「我社の製品には、コカインやアヘンが含まれています。」と宣伝していました。例えば、『コカイン歯痛ドロップ』 コカインは、歯痛や頭痛用の薬として使われ、また、ぐずる子供を「より良い」気分にさせ、...

昔話(119)-アルカロイド(8)-ドラッグ(4)

南米のアンデス文明では、紀元前1200年ごろから、慢性硬膜下血腫や精神病などの治療のため、頭蓋穿孔術が行われていたそうです。頭蓋骨を分析した結果、頭蓋の手術跡の治癒過程の骨もあるので、術後、平均して数年から十数年程度、生きていたと考えられていますまた、頭蓋穿孔術は、また、高度な外科手術で、熟練も要したので、練習したと考えられる骨も見つかっています。頭蓋穿孔術の時、「コカの木(コカ)」の「アルカロイ...

昔話(118)-アルカロイド(7)-ドラッグ(3)

英語でアヘンの事を、「opium」と言いますが、これは、古代ギリシア語 「opion」から来ていて、「ケシの汁」を意味するそうです。古代ギリシャの戦士達は、戦争に疲れた時、「アヘン」を原材料とした苦悩を忘れさせる「忘却薬」をワインに溶かし、飲んだそうです。また、マケドニアの『アレキサンダー』大王は、兵士の疲れを癒す目的で、「アヘン」を持参したそうです。ちなみに、欧州では、「アヘン」は、経口で服用していました...

昔話(116)-アルカロイド(5)-ドラッグ(1)

ケシの原産地は、地中海東部沿海地方で、ケシの「アルカロイド」の「アヘン」の作用は、古代から知られていて、紀元前3400年頃には、メソポタミアでケシが、栽培されていたと考えられています。世界最古の記録は、紀元前3000年頃のメソポタミア文明の シュメール人の粘土板だそうです。そこには、ケシの栽培方法、ケシ汁「アヘン」の採集方法、精製方法、効能について、記載されていてるそうです。ちなみに、シュメール人...