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日本が嫌いなアメリカ大統領の『フランクリン・ルーズベルト』と『ハリー・S・トルーマン』が、行ったこと(5)-日本の外交手腕(1)

1940年、10月8日、アメリカ大統領『フランクリン・ルーズベルト』は、海軍大将『ジェームズ・リチャードソン』に、「遅かれ早かれ、日本は過ちを犯し、そして、我々と戦争に突入することになる。とにかく、日本に、先に、1発目を撃たせろ!」と言ったそうです。外交に疎く、何も知らない日本は、戦争を避けて、アメリカと平和的に解決しようと、必死に交渉し、ハワイでの日米首脳会談をしたいと、駐米大使『野村吉三郎』を...

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日本の外交手腕(2)-外務省機密費流用事件

1997年、週刊ポストに、「外務省に、機密費を、流用している官僚がいる。」と、報じられましたが、何事も起きませんでした。そして、外務省に出入りする業者から、過去3回開かれた東京でのサミットの予算額が、最大15億だったのに対し、2000年に開催された、九州・沖縄サミット(主要国首脳会議)の予算が、815億円以上だという、ささやかな内部告発が、ありました。そして、2000年頃から、捜査が開始され、『中才...

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日本の外交手腕(3)-日本の外交をぶっ潰せ!-田中眞紀子(1)

2001年、自民党総裁選挙で、最大派閥の『橋本龍太郎』の勝利が、有力視され、自民党『小泉純一郎』は、劣勢だったのが、「既存の自民党を、ぶっ壊して、新しい自民党に、作り直す!」、「私の政策を批判する者は、すべて抵抗勢力。」と、熱弁を振るい、また、大衆に人気のあった『田中眞紀子』の応援のおかげで、街頭演説では、数万の観衆が押し寄せ、閉塞した状況に、変化を渇望していた大衆の圧倒的な支持を得て、勝利し、2...

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日本の外交手腕(3)-日本の外交をぶっ潰せ!-田中眞紀子(2)

『田中眞紀子』外務大臣の公設第1秘書『穂苅英嗣』は、『田中眞紀子』外務大臣について、記者から聞かれた時、「日頃から、全く連絡が取れない人でした。携帯電話に連絡しても、まず出ない。急ぎの用件の時は、本当に困りました。アメリカで、同時多発テロが起きた時、日本時間の22時でしたが、急いで、電話をしても携帯は繋がらず、自宅の電話にも出ない。ようやく連絡が、取れたのは、次の日でした。」と、言っています。ちな...

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日本の外交手腕(3)-日本の外交をぶっ潰せ!-田中眞紀子(3)

2001年5月1日、北朝鮮の『金正男』とその一行が、ドミニカ共和国の偽造パスポートで、入国しようとして、東京入国管理局に、拘束されました。『田中眞紀子』外務大臣は、すぐにパニックになる傾向にあったので、その時も、パニックになり、外務官僚が、落ち浮いて対処してくださいなど、説明を試みましたが、まったく聞かず、机をバンバンと叩きながら、「大変なことになる。すぐに帰しなさい!パスポートがなければ、作って...

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日本の外交手腕(3)-日本の外交をぶっ潰せ!-田中眞紀子(4)

2001年7月、自由民主党の外務大臣『田中眞紀子』は、群馬県で参議院選挙に立候補した、自由民主党公認『吉川真由美』を、応援するため、午後3時、群馬県庁前に、到着しました。しかし、約束していた応援演説の予定時間が、午後4時だったので、応援すべき候補者の『吉川真由美』は、別の場所で、演説していました。すると、自由民主党の外務大臣『田中眞紀子』は、「まだ来ていないの?時間が無いのよ!」と、不機嫌になり、...

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日本の外交手腕(3)-日本の外交をぶっ潰せ!-田中眞紀子(5)

2011年11月1日、『田中眞紀子』外務大臣は、イランの外相との会談に行くため、外務省の廊下を歩いていた時、お気に入りの指輪が、無い事に、気が付きました。『田中眞紀子』外務大臣は、『上月豊久』外務大臣秘書官に向かって、「私の指輪知らない?」と聞きました。『上月豊久』外務大臣秘書官が、「知りません。」と答えると、『田中眞紀子』外務大臣は、「いやだ。本当に知らないの? ポケットに入れてた指輪がないのよ...

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日本の外交手腕(2)-外務省『小林祐武』の告白(1)-報償費(機密費)

現在、機密の事項に使うため、領収書が不要で、チェックもなく、制約なく支出可能な経費の報償費(機密費)があるのは、官邸と外務省だそうです。その官邸の機密費から、多額のお金が、選挙のたびに、与党議員に、国会対策で、野党議員に、渡される事を、『塩川正十郎』が、財務大臣の時、うっかり口を滑って言っていまい、問題となりましたが、後で、「忘れた。正確な記憶が無い。」と、訂正して、結果、うやむやになりましたが、...

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日本の外交手腕(2)-外務省『小林祐武』の告白(2)-プール金

『小林祐武』の著者【私とキャリが外務省を腐らせました】によると、外務省の庶務係の『小林祐武』が、処理した請求書には、色々なものがあったそうです。外務省の機密費は、課長は、30万円、局長は、50万円使えるのですが、期限内に使い切らない時は、お店に、架空の領収書を出してもらい、外務省の各課や各室で、プール金にしていたそうです。しかし、プール金の仕組みを考えたのは、『小林祐武』ではなく、外務省では、昔か...

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日本の外交手腕(2)-外務省『小林祐武』の告白(3)-九州・沖縄サミット

2000年7月21日ー23日まで、沖縄県名護市で開催された、主要国首脳会議の九州・沖縄サミットは、外務省にとっては、ご褒美満載で、『松尾克俊』や『小林祐武』ら、複数の外務省職員の涙ぐましい努力の甲斐があり、色々な方法で、1億6千万円以上のプール金を、ためる事が出来ました。九州・沖縄サミットの時、『小林祐武』は、『松尾克俊』から、通訳として、ある住職が、紹介されました。住職は、「京都環境サミットや長...

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日本の外交手腕(2)-外務省『小林祐武』の告白(4)-新しいシステム考案

多額のプール金などの裏金を作れるのが、庶務係の腕の見せ所で、外務省での評価に、つながったそうです。そして、外務省庶務係の『小林祐武』は、外務省は、深夜の業務が沢山あるのに、タクシー代が、役所から出ないのは、おかしいと考え、職員のために、タクシー券を、配ろうと考え、ハイヤーの配車実績は、50万円でしたが、ハイヤーの会社に頼んで、100万円分の水増し請求をしてもらい、その差額を、タクシー券で、発行して...

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日本の外交手腕(2)-外務省『小林祐武』の告白(5)-『浅川明男』逮捕されるのは不公平

元外務省の『小林祐武』によると、『松尾克俊』が、沢山の愛人を抱えていたように、外務省では、「愛人が、1人以上いる事が、一人前。」という風潮が、あったそうです。ちなみに、愛人は、外務省のアルバイトから、物色する事が多いので、外務省のアルバイトの面接の時には、学歴や経歴、文字のきれいさではなく、顔で、合否を判断することが、多いそうです。そして、外務省では、女性関係で、機密費を使った、という話が、多いそ...

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日本の外交手腕(2)-外務省『小林祐武』の告白(6)-マル新

外務省の幹部には、機密費以外に、【マル新】と呼ばれる、新聞記者との懇談用の食事代が、あります。『小林祐武』は、外務省の幹部たちが、レストランの請求書に、新聞記者のリストから、適当に選んで、勝手に書いているのも、何度も目撃したそうです。他にも、機密費の枠を、何度も超えている課長がいたので、『小林祐武』が、注意すると、その課長は、「それならば、【マル新】を流用する。」と言って、【マル新】を、有効利用し...

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日本の外交手腕(2)-外務省『小林祐武』の告白(7)-フランスワイン

外務省が、フランスの日本大使館に、サミットの時に使うので、フランスワインを、日本に送るように、依頼しました。すると、フランスの日本大使館は、見返りに、全自動の麻雀卓を、要求してきたそうです。そのため、『小林祐武』は、プール金を使い、全自動の麻雀卓を、購入したそうです。そして、送られてきたワインは、全ては使わなかったので、外務省の板倉公館の地下倉庫に保管されました。ワインは、外国からの貴賓のために、...

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日本の外交手腕(2)-外務省『小林祐武』の告白(8)-駐英国日本大使館コレクション盗難事件

1997年に、元外務省職員『林貞行』が、駐英国日本大使に就任しました。そして、2000年、駐英国日本大使館コレクション盗難事件が、起きました。イギリスの外交官『サー・アーサー・ヘンリー・ヒュー・コータッツィ』は、1980年から1984年まで、駐日本国英国大使を務めた事もあり、親日家だったので、イギリスの日本研究者らで組織され、『林貞行』駐英国日本大使が、名誉総裁を務める、「日本協会」に、貴重な古書...

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日本の外交手腕(2)-外務省『小林祐武』の告白(9)-デンバー領事館『水谷周』総領事

元外務省『小林祐武』によると、在外の大使館では、改装、備品などの費用を、実際より高く見積もり、浮いたお金を、プール金にすると言う事は、日常茶飯事だそうです。元サウジアラビア大使館職員や、元オーストリアなどの大使館職員の体験談として、「会計に圧力をかけて多額の個人的支出を、公費で落として、流用できる。」、「大使館員が、領収書を偽造して、公金着服した話があり、同僚がそれを問題にしようとしたが、抑え込ま...

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日本の外交手腕(2)-外務省『小林祐武』の告白(10)-キューバ大使

1987年、ある外務省職員が、59歳の時、キューバ大使に着任しました。この外交官は、退職年齢が、近づいているので、退職後、キューバで、レストラン経営することを計画し、首都ハバナ市内に、レストラン用邸宅を、購入しました。そして、欧州の高級な家具類や高性能な冷蔵庫などを、購入しました。しかし、すべて、キューバ日本国大使館用として、会計処理をしたそうです。しかし、外務省は、大使の公金流用疑惑を察知し、秘...

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日本の外交手腕(2)-外務省『小林祐武』の告白(11)-それは、現在も続く

オーストラリア日本国大使館に勤務している、外務省員が、2百万円以上を、横領しました。外務省が、処分しようとすると、その外務省職員は、「もし、自分を処罰すると、日本の外務省の機密費の不正使用などをバラす。」と、脅かしたので、外務省は、不祥事が続いているので、問題がバレる前に、急いで、他の国へ、人事異動させました。そして、その赴任先でも、横領し、大使館用と言って、不正に購入した酒を、大使館の倉庫に保管...

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日本の外交手腕(2)-外務省『小林祐武』の告白(12)-外務省内では、周囲に注意

元外務省の『小林祐武』によると外務省のエリートコースの総合職キャリアは、国立大学出身者、特に、東京大学法学部出身者が多く、他の省庁に比べ、エリート意識が強く、横柄と言われているそうです。ちなみに、外務省総合職キャリアは、待遇が良いので、家族や親戚に、勧めるから、外務省職員は、血縁関係者が、多いそうです。そのため、外務省で、他人の悪口を、言う時は、気をつけないと、周囲に血縁関係者がいる事が多く、細心...

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日本の外交手腕(2)-外務省『小林祐武』の告白(13)-政府開発援助(ODA)

政府開発援助(ODA)は、世界の平和構築や、世界の基本的人権の推進、人道支援等を含む開発途上国の「開発」のため、開発途上国や国際機関に対し、日本の税金を、贈与したり貸付したり、技術提供などを行って、世界で、親日国を増やすと言う事で、日本の外務省が、率先して行っています。とても良い事だと思いますが、2018年、日本の政府開発援助(ODA)の実績は、1兆5646億円です。この金額は、世界第4位で、日本は、か...

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日本の外交手腕(2)-外務省『小林祐武』の告白(15)-北朝鮮の拉致問題(2)

北朝鮮による拉致被害者の救出と、被害者家族同士の連絡などの活動のため、拉致被害者の家族と、朝鮮半島関連の研究者らは、1997年3月、【北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)】を、結成しました。そして、1997年4月、北朝鮮の拉致被害者を助けるためなら、武力行為を辞さないと言って、タカ派で有名な自民党『中山正暉』と保守党『青木宏之』らの国会議員が、中心となり、【拉致疑惑日本人救...

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日本の外交手腕(2)-外務省『小林祐武』の告白(16)-北朝鮮の拉致問題(3)

以前は、「拉致被害者が戻ってくるまで、北朝鮮に頑固とした態度で、交渉し、一緒に頑張りましょう!」と言っていたのが、北朝鮮に行ってから、態度が、180度変わった、タカ派の自民党『中山正暉』は、2003年、拉致被害者の『有本恵子』さんの両親に電話して、「【北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)】の会長『佐藤勝巳』らが、拉致問題解決を妨害している。」と、事実無根の誹謗した後、続けて...

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日本の外交手腕(2)-外務省『小林祐武』の告白(17)-北朝鮮の拉致問題(4)-7月19日は、女性大臣の日

『中山マサ』は、ロシアに、抑留されていた、沢山の日本人捕虜の引揚げ問題の功績などから、1960年、第1次『池田勇人』内閣で、日本初の女性閣僚、厚生大臣となったそうです。そして、『中山マサ』は、厚生大臣時代に、「子供や婦人問題に重点を置きます。」と言って、母子家庭への児童扶助手当支給の実現化や、小児マヒ(ポリオ)対策などの法制化などに尽力した、立派な人だったそうです。ちなみに、『池田勇人』に、入閣を...

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日本の外交手腕(2)-外務省『小林祐武』の告白(18)-北朝鮮の拉致問題(5)-日本とレバノンの外交姿勢の違い

国民を守る姿勢は、レバノンの外務省は、日本の外務省とは、大きく違います。1978年、レバノンの首都ベイルートのYMCA(キリスト教女子青年会)秘書学院に、日本の日立製作所の関係者であると名乗る、2人の東洋人が、「容姿端麗で、アラビア語とフランス語ができる、独身の女性を秘書として募集している。」と、言って、訪れました。しかし、実はその2人の東洋人は、北朝鮮の工作員でした。そして、レバノン人の女性4人が、...

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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、旅をしていました。

そして、
海外14カ国を、旅をして、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

だから、
高校の時、歴史の先生から、
歴史関係の進路を、
ものすごく強く勧められました。

でも、
生物の方が好きだったので、
獣医になりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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