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日本を守るために命をかけて戦った人々(1)-最初の特攻隊隊長『関行男』大尉

活字離れで、本屋がどんどん少なくなっていますが、残念な事です。今年の読書の夏は沢山の本を読みました。自分の先祖が治めていた猫尾城のある黒木出身で、応援している直木賞作家『安部龍太郎』の歴史の本は、研究熱心で、資料を詳しく細かい所まで調べ上げているので、話の題材や内容は、面白いのですが、例えば、場面により『石田三成』は、『治部』、『佐吉』そして、『大谷吉嗣』は、『刑部』、『紀之介』と、登場人物の名前...

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日本を守るために命をかけて戦った人々(2)-『中島正』少佐と『岡嶋清熊』少佐と『菅野直』大尉

1944年7月に201空飛行長に就任した『中島正』少佐は、特攻の恒常化で、次第に思いやりを欠く言動が、増えていったそうです。『中島正』少佐は、特攻に関して、「辛いとか、苦しいとかいうような気持ではなく、説明しがたいある種の感動だった。でも、俺は死なない。神風特攻隊の記録を後世に残すため内地に帰る。」と常に言っていたそうです。ちなみに、戦後、「神風特別攻撃隊の記録」などの特攻隊を美化する本を書きまし...

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日本を守るために命をかけて戦った人々(3)-陸軍史上最悪の軍人『冨永恭次』中将

『東條英機』の腰巾着というあだ名を持ち、航空特別攻撃隊の出撃命令と敵前逃亡疑惑など、陸軍史上最悪の軍人だと批判のある第4航空軍司令官『冨永恭次』中将は、陸軍初の航空特別攻撃隊「万朶隊」の出撃命令を出し、その後、計62回、約400機の特攻を命令しました。ちなみに、第4航空軍司令官『冨永恭次』中将は、中央勤務が長かったので、実戦経験が乏しく、航空戦の知識は皆無だったのですが、空軍司令官になったそうです...

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日本を守るために命をかけて戦った人々(5)-最後の特攻『宇垣纏』海軍中将

最後の特攻を行ったのは、プライドが高いと言われている第五航空艦隊司令官『宇垣纏』海軍中将です。以前、第五航空艦隊司令官『宇垣纏』海軍中将が、特攻隊を見送っていた時、特攻隊員から、「本日の攻撃において、爆弾を百%命中させる自信があります。命中させた場合、生還しても、よろしいですか?」と聞かれた時、第五航空艦隊司令官『宇垣纏』海軍中将は、「まかりならぬ。」と即座に大声で答えたそうです。そして、敗戦が明...

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日本を守るために命をかけて戦った人々(6)-撃墜王『坂井三郎』と『水木しげる』

戦時中は、政府は、特攻に関して、志願者が多く、士気が上がっていると、国民には言っていました。しかし、公式認定撃墜数28機(自称撃墜数64機)の撃墜王『坂井三郎』は、戦後、特攻作戦に関して聞かれた時、「特攻で士気があがったと発表していたが、実は大嘘。絶対死ぬという作戦で士気があがるわけがなく、士気は大きく下がった。」と言っています。ちなみに、『坂井三郎』は、上空で優雅にサイダーを飲もうと、機内にサイ...

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日本を守るために命をかけて戦った人々(9)-特攻を拒否した人々

特攻命令を、拒否し続けた人たちもいます。第100飛行団の航空総監部教育課長『秋山紋次郎』大佐は、「参謀本部の二課(作戦課)が特攻やれとは何事だ。」と特攻には強行に反対したそうです。 第203海軍航空隊戦闘第303飛行隊長『岡嶋清熊』少佐は、特攻には断固反対で、国賊と言われたそうです。陸軍飛行第62戦隊戦隊長『石橋輝志』少佐は、大本営作戦課で第62戦隊を特攻部隊に、編成訓練するよう要請されると、「部下...

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日本を守るために命をかけて戦った人々(10)-特攻を推進派した人々

特攻は、マリアナ沖海戦の敗北後、検討され始めました。マリアナ沖海戦の敗北後、元帥会議が行われ、『伏見宮博恭王』より、「陸海軍とも、何か特殊な兵器を考えた戦争をしなければならない。戦局がこのように困難になった以上、航空機、軍艦、小舟艇とも特殊なものを考案し、迅速に使用を要するを要す。」と発言があったそうです。そして、艦船に対する攻撃法を研究したのですが、航空機による通常雷撃が、アメリカ艦隊に対して、...

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日本を守るために命をかけて戦った人々(10)-特攻を推進派『大西瀧治郎』

『大西瀧治郎』中将は、軍需産業強化を担当する軍需省に長年勤務していて、日本の国力を知っていたので、「戦争は続けるべきではない。フィリピンを最後の戦場にして、早期に講和すべきだ。」と考えていました。そして最初、『大西瀧治郎』中将は、特攻は外道と言っていましたが、戦況の悪化により、途中から特攻推進派になり、「俺の作戦指導に対する批判は許さん。反対する者は叩き切る。特攻隊は、国が敗れるときに発する民族の...

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日本を守るために命をかけて戦った人々(11)-日本のCIAエージェント

ロッキード事件で有名な『児玉誉士夫』は、死期が近づいた時、「自分は、アメリカの中央情報局(CIA)の対日工作員であった。」と告白しています。『児玉誉士夫』は、戦犯の疑いで逮捕され、1948年釈放された後、CIAに協力するようになったそうです。『児玉誉士夫』は、朝鮮戦争(1950年—1953年)に、ミサイル強化のため、タングステンを必要としていたアメリカに、日本の貯蔵庫から数トンのタングステンを密輸...

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日本を守るために命をかけて戦った人々(12)

特攻に使用していた零戦は、1942年までは、世界水準を超えた戦闘能力で無敵と言われ、アメリカ軍の戦闘機F4F「ワイルドキャット」では、「零戦とは格闘戦してはいけない。低速時に上昇中の零戦を、追ってはいけない。」と厳命されていました。しかし、アメリカは、航空機生産能力は、日本の約5倍と国力の差があり、日本は、零戦の良い後続機が出来ませんでしたが、アメリカでは、1943年より投入された戦闘機F4F「ワ...

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日本を守るために命をかけて戦った人々(13)-戦争を避けるための示唆(1)

アメリカのオクラホマ州立大学の認知社会心理学者『ムザファー・シェリフ』を中心とする研究グループが行った「ロバーズ・ケーブ実験」が、国の関係に通じる重要な示唆を、もたらしてくれます。「ロバーズ・ケーブ実験」とは、1954年、オクラホマ州内のロバーズ・ケーブ州立公園で行われたサマーキャンプにおいて約3週間行われた観察研究です。対象となったのは、プロテスタント系の白人中流階級の家庭の子どもで、成績は中程...

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日本を守るために命をかけて戦った人々(13)-戦争を避けるための示唆(2)

次に、2つの集団が協力しないと達成できない上位目標を用意するという方略を考えました。研究スタッフが貯水タンクの元栓を秘かに破壊し、キャンプ場の蛇口から水が出なくなるという事態をつくり出したり、食料を買い出しに行く大型トラックを、研究スタッフが車の故障を偽装したり、ぬかるみに、わざと、はまったりしました。子どもたちにしてみれば、キャンプ生活に関わる大事だから、敵だ味方だなどと言っている場合ではないと...

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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

短期間ですが、
オーストラリアなど
海外の複数の動物園や水族館で、
研修した事があります。
詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。
詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

高校時代、
試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、高校の時は、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖が笛が得意だったのと、
子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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