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『エドワード・ジェンナー』とワクチン(1)-師匠『ジョン・ハンター』の影響でカッコウの托卵発見!認められるまで、百年以上!

『エドワード・ジェンナー』は、1749年5月17日に、牧師『ステファン・ジェンナー』の子として、イギリスのバークレイという、牛が沢山飼育されている、酪農地帯で生まれました。1761年、『エドワード・ジェンナー』は、開業医『ダニエル・ラドロウ』に弟子入りして、9年間医学の勉強をしました。この時、患者の女性が、「私は前に牛痘にかかったので、天然痘にかかることはありません。」 と都市伝説的な事を言いました...

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『エドワード・ジェンナー』とワクチン(2)-「人痘接種法」(1)-ワクチン以前、東洋の古代から続く方法

天然痘は、天然痘ウイルスを病原体とする感染症の一つで、天然痘は、治療法が無く、当時、ヨーロッパでは天然痘が、たびたび流行し、天然痘で、多い年で、約5万人以上が、死亡していました。発症すると、突然の熱発と共に頭痛や四肢痛、嘔吐や意識障害といった症状が現れ、体温が、40度以上を越え、その後、顔面や頭部を中心に全身に、発疹が出て、その後、水疱となり、膿疱となり、喉が焼かれたような激痛が走り、物を飲み込む...

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『エドワード・ジェンナー』とワクチン(3)-「人痘接種法」(2)-医療者以外による普及活動

1721年に、天然痘患者を乗せた船が、アメリカに入港したため、アメリカでも天然痘が流行しました。1692年から1963年にかけて起きた、アメリカの魔女裁判「セイラム魔女裁判」で、指導的役割を果たした、ボストンの『コットン・マザー』牧師が、自分の家の使用人の西アフリカ出身の奴隷『オネシモ』から、アフリカを離れる前に、人痘接種をしたと聞き、人痘接種に興味を持ち、人痘接種についての学術論文を複数読んだ結...

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『エドワード・ジェンナー』とワクチン(4)-「人痘接種法」(3)-医療者よるビジネスへの変換

イギリスでは、一般的な主婦『メアリー・ウォートリー・モンタギュー』、アメリカでは、宗教家『コットン・マザー』牧師など、「非医療者」によって始められた人痘接種ですが、最初は、医療関係者によって、素人が、医療界に対して、生意気に口を出すなと言われて、批判を受けましたが、効果が認められると、人痘接種は、大々的な医療ビジネスへと様変わりし、人痘接種が、当時の医療行為の主流の瀉血、浣腸など、各種治療と、組み...

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『エドワード・ジェンナー』とワクチン(5)-『エドワード・ジェンナー』以外の人々

1774年、イギリス、『ベンジャミン・ジェスティ』は、牛痘に感染すれば、天然痘に感染しないという都市伝説を信じていたので、妻と息子2人を、天然痘から守りたいと言う気持ちで、農場に連れて行き、牛痘に感染している牛の膿疱物質を穿刺し、その液体を、針を使って腕に塗りました。すると、軽度の局所反応を起こしましたが、子供たちは、すぐに回復しました。しかし、妻の腕は、しばらくの間、ひどい炎症を起こしましたが、...

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『エドワード・ジェンナー』とワクチン(6)-貧乏な使用人の息子に人体実験-ワクチン誕生!昔で良かった

『エドワード・ジェンナー』は、「牛痘に感染した人の皮膚に水疱の中の液体が、天然痘ウイルスへの免疫として、機能しているのではないか?それなら、牛痘に感染した人の皮膚に水疱の液体を抽出し、健康な人に接種すれば、人痘法より遥かに安全に免疫が、獲得できるのではないか?」と推測しました。そして、牛痘ウイルスを用いた牛痘法は、例え発症しても軽度で、瘢痕も残らない事から、より安全な方法ですが、どうして進めていく...

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『エドワード・ジェンナー』とワクチン(7)-衝撃!ワクチン種痘の真実

細菌学者『ルイ・パスツール』は、『エドワード・ジェンナー』が、「牛痘法(ワクチン種痘法)Vaccination」を行っていた事を称え「牛痘法(ワクチン種痘法)Vaccination」以外でも、感染症に対して免疫を人為的に誘導することを、全て「ワクチン」と指すように、提案したそうです。そして、『エドワード・ジェンナー』の「牛痘法Vaccination」の概念は、細菌学者『ハインリヒ・ヘルマン・ロベルト・コッホ』らに、受け継がれ、医...

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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、放浪しました。

そして、
海外14カ国を、放浪し、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

リンクはフリーです。

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