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ドリトル先生と「ジキルとハイド」のモデル-『ジョン・ハンター』(1)

『ヒュー・ロフティング』が書いた、有名な『ドリトル先生』の家は、イギリスの架空の町パドルビーにあり、その庭には、たくさんの動物たちが住んでいました。『ドリトル先生』は、博物学者で、腕の良い医師でしたが、屋敷の動物たちが、患者に迷惑をかける騒動が相次いで、人間の患者は誰も寄り付かなりました。『ドリトル先生』のモデルの1人は、「科学的外科の創始者」の『ジョン・ハンター』だと言われています。確かに、ロン...

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ドリトル先生と「ジキルとハイド」のモデル-『ジョン・ハンター』(2)-医学のための殺人(1)-殺人ビジネス(1)

1728年2月13日、『ジョン・ハンター』は、スコットランドのグラスゴー郊外で、父『ジョン・ハンター』65歳、母『アン・ハンター』43歳の10番目の子どもとして、生まれました。『ジョン・ハンター』は、好奇心は、旺盛で、好きな物を見つけると、周りが見えなくなる程、集中するのですが、勉強全般…、特に読み書きが苦手だったので、13歳で学校を退学し、屋外で、虫や動物を追いかけまわしたり、捕まえて、遊んでい...

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ドリトル先生と「ジキルとハイド」のモデル-『ジョン・ハンター』(4)-チチカライ

『ジョン・ハンター』は、初めて見た解剖で、人体の構造に、旺盛な好奇心に、火が付き、解剖の魅力に、取り憑かれました。『ジョン・ハンター』は、遺体の絵をかいたり、記録したり、標本にするだけでは物足りず、取り出した物を、分析するため、口に入れて、味わう事が多かったそうです。『ジョン・ハンター』は、「胃液は、透明に近い液体で、味は塩気がある。精液は、匂いも味も、やや吐き気をもよおすが、口の中に、しばらく含...

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ドリトル先生と「ジキルとハイド」のモデル-『ジョン・ハンター』(5)

兄『ウィリアム・ハンター』は、弟『ジョン・ハンター』の器用さを確信し、解剖に時間をかけると、遺体の状態が悪くなるので、弟『ジョン・ハンター』が、素早く解剖が出来る様に、熟練解剖学者の技術を習得させるため、夏休みなどを利用して、1749年、外科手術を、科学的な医療として、確立するのに大きな影響を及ぼした外科医で、解剖学者の『ウィリアム・チェゼルデン』に、師事させました。ちなみに、『ウィリアム・チェゼ...

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ドリトル先生と「ジキルとハイド」のモデル-『ジョン・ハンター』(6)-歯磨きの歴史

『ジョン・ハンター』は、退役後は、外科医の仕事が無かったので、歯科医『ジェームズ・スペンス』と協同で、歯の治療と研究に従事したそうです。ちなみに、当時の歯科医は、医者の階級としては、最下層でしたが、安定収入を得る事が出来ました。当時の歯の治療は、抜歯のみでしたが、『ジョン・ハンター』は、歯の移植を思いつき、鶏の頭に、人の歯の移植実験を、行いました。鶏の頭に、歯を移植した標本そして、ある程度の成果を...

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ドリトル先生と「ジキルとハイド」のモデル-『ジョン・ハンター』(7)-偉大な音楽家と医者

1761年、『ジョン・ハンター』が、従軍外科医をしていた時、同僚の従軍外科医『ロバート・ホーム』の目の治療を行い、仲が良くなりました。戦後、『ジョン・ハンター』は、『ローバート・ホーム』の自宅に招待され、『ローバート・ホーム』の娘で美人の『アン・ホーム』と知り合いました。1764年、『アン・ホーム』が重病にかかり、『ジョン・ハンター』が治療しました。そして、懸命な治療で治り、その年に『ジョン・ハン...

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ドリトル先生と「ジキルとハイド」のモデル-『ジョン・ハンター』(8)

18世紀当時の医療は、未熟で、平均寿命は、37歳でした。外科は刃物で、切るという事で、18世紀以前は、外科手術は、理髪師の仕事と考えられていて、理髪業と外科医は、同じギルド(同業者組合)で、18世紀半ばに、分離したばかりでした。内科医は、患者の体を触る事は、卑しいことだとして、患者に触らず、見るだけで診断をし、「体液のバランスが悪いから、病気になる。」と考えられていたので、血を抜いたり、浣腸したり...

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ドリトル先生と「ジキルとハイド」のモデル-『ジョン・ハンター』(9)-世界初の人工授精と心臓のカウンターショック

『ジョン・ハンター』の診察・治療費は、「1件につき、20ギニー(約60万円)の定額制」と決まっていました。『ジョン・ハンター』の患者は、著名人も数多くいて、『ジョン・ハンター』は、イギリス国王『ジョージ3世』の特別外科医に、選任され、当時のイギリス首相『ウイリアム・ピット』の頬の腫瘍の手術、経済学者『アダム・スミス』の痔の手術、哲学者『デビット・ヒューム』の肝臓癌の治療などを行い、金持ちからは、高...

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ドリトル先生と「ジキルとハイド」のモデル-『ジョン・ハンター』(10)-Greater siren

『ジョン・ハンター』は、朝5時から、解剖室で作業を開始し、朝9時に朝食をとり、その後、患者の診察を行い、昼12時まで患者を診察し、少し休憩し、昼食後、午後4時まで診察し、夕食を食べた後、1時間仮眠し、その後講義や実験をし、解剖の結果を口述筆記し、深夜1-2時にまで、作業する事もあったそうです。睡眠時間は、平均4時だったそうです。そして、弟子の指導をし、1日19時間以上、働いていたそうです。ただし、...

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ドリトル先生と「ジキルとハイド」のモデル-『ジョン・ハンター』(11)

1765年、『ジョン・ハンター』は、外科医の仕事で順調に稼げるようになったので、ロンドンのアールズ・コートに、別荘を購入し、休日の日曜日には、アールズコートの別荘へ行き、自然や動物とたわむれ、息抜きをするという日々を過ごしていました。そして、犬や豚牛などの家畜からシマウマやライオン、ヒョウ、キリンなどを飼育し、近所の子供達を喜ばせました。しかし、牛とレスリングをして殺されそうになったり、ヒョウが鎖...

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ドリトル先生と「ジキルとハイド」のモデル-『ジョン・ハンター』(12)-コレクション魂巨人症チャールズ・バーン-自分の骨格標本作製方法

1782年5月6日のイギリスの新聞記事には、「どんなにすごく珍しかろうが、ほとんどの場合、大衆の興味を、ひきつけることは、なかなか困難である。しかし、【コックスズ・ミュージアム】にいる、生ける彫刻のアイルランド出身の『チャールズ・バーン』は、今までに見た事が無い程、大きい巨人だ。絶対に、一見するべきだ!」と、書かれていました。1761年に生まれた『チャールズ・バーン』は、成長ホルモンが、過剰に存在...

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ドリトル先生と「ジキルとハイド」のモデル-『ジョン・ハンター』(13)

『ジョン・ハンター』は、自分で、心臓の冠動脈が詰まって狭くなる狭心症と、診断治療していましたが、狭心症が急速に悪化し、体調は悪かったのですが、通常の業務に加え、外科医組合の役員や外科軍医総監など仕事も多く、多忙な日々を送っていました。1793年10月16日、『ジョン・ハンター』は、セントジョージ病院の理事会で、2人のスコットランド人生徒の、外科訓練の受け入れについて、議論していましたが、他の理事と...

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ドリトル先生と「ジキルとハイド」のモデル-『ジョン・ハンター』(14)-義弟の裏切り

『ジョン・ハンター』の死後、最後の弟子『ウィリアム・クリフト』が、『ジョン・ハンター』のコレクションや研究資料を、保管、整理していました。すると、『ジョン・ハンター』の義弟で、弟子でもあった、医師で解剖学者の『エヴァラード・ホーム』が、『ウィリアム・クリフト』に、義兄『ジョン・ハンター』の残した研究資料一切を要求しました。『ウィリアム・クリフト』は、嫌な予感がしたので、引き渡しを伸ばし、できるだけ...

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プロフィール

ムーミン

Author:ムーミン
生まれは、福岡、
育ちは、大阪、
現在、秋田市で、
動物病院を開院。

長年、
水族館、動物園で、
獣医師として勤務していました。

短期間ですが、
犬猫行政、
食品衛生業務も
しました。

その後、
長年、
東北、沖縄の
動物病院で勤務しました。

大阪に住んでいた時、
ジュニアリーダーをしていたので、
キャンプなどの指導などをしていました。

旅が好きで、バイクや車で
北海道や東北、関東などを、

野宿しながら、放浪しました。

そして、
海外14カ国を、放浪し、

海外の複数の動物園や水族館で、
研修しました。

詳しくは、
別のブログ「あっちこっち雑記」で。

祖先は、醍醐源氏の末裔で、
福岡県八女市黒木の
猫尾城の城主を
していました。

先祖は、足利尊氏と戦い、
多々良浜の戦いでは、
敗戦しましたが、

筑後川の戦いなど、
最終的には勝利し、

3代将軍足利義満まで、九州を治め、

中国の「明」と、貿易をしていました。

詳しくは動物病院HPで。

学生時代、
生物学と歴史は好きでした。

試験の時は、
事前に、関連事項まで詳しく調べて、

特に歴史の時は、
現地調査までする事があったので、

筆記試験の時は

関連事項まで、詳細に書くと、

テスト用紙の回答欄のスペースでは、

ものすごく不足したので、

裏まで書いても不足した時には、

2枚目の白紙をもらい、
ぎりぎりまで書いていました。

そのため、
歴史や生物のテスト用紙が配られる時、
あらかじめ、
白紙が、2枚配られるようになりました。

先祖は笛が得意で、
後白河法皇、後鳥羽天皇に、
褒められた事があります。

自分も、子供の頃、
ピアノを習っていたので、
音楽が好きです。

水族館、動物園勤務時代、
野生動物は、
殺気を感じると、
逃げるので、
殺気を感じさせない為、
歌いながら、
治療していたので、
歌が得意になりました。

尚、色々な事を書いていますが、
話し言葉や細かい所などは、
意訳の場合もあります。

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